「アスラどこ行ってたんだ? 捜したぜ」

 黒の森の魔物に連絡を送った後、宴を行っている広場へ戻る途中、リドルに声をかけられた。

「女が黙って消える時は化粧室って相場は決まってるのよ? 覚えときなさい」

「そうかよ……精霊が起きた。他の石板の場所を知ってるらしい」

風の洞窟から四人を脱出させた後、沈黙をしていた石版の守護精霊だったが、単に起き抜けにいきなり高等魔法を使ったから疲れて寝ていたのだそうだ。

【いんやーさすがに四人いっぺんに転移魔法は疲れたってんだぜ全く!】

 石板の上にあぐらをかいた体制で浮いている、手の平サイズの紫の物体が風の石版の守護精霊だ。

 石版を守る街は、全てその精霊の名で呼ばれているのだそうで、つまりはこの精霊の名前は『ヴィンド』と言う事になる。

「で、ヴィンドは他の石版の在りかを知ってんだろ?」

 石版の中がどれだけ暇だったかをこんこんと聞かされて、いい加減付き合うのに嫌気が差して来た一樹が話題を本題に戻した。

【当たり前だってんだよ! 俺等は四人で一対なんだってんだよ! 他のやつ等の気配じゃ、南のフォイヤーが一番強いってんだよ!】

「南? 一箇所に全部あるの?」

【ばぁーか! んな訳あるかってんだ! 気配が一番強いってだけだ! 人の話はちゃんと聞いてやがれ!】

 ヴィンドが小さな体全身を使って智之を馬鹿にする。智之もどうやらこの小さい者にあまり良い感じを持っていないらしい。

「お前むかつく!」

【お前にむかつかれたって痛くも痒くもないっつーんだよ! ばぁーか!】

 二人の低レベルな会話に、一樹が頭痛を覚え始めた頃、リドルとアテナが戻ってきた。

「場所はわかったのかよ?」

「南とだけ」

「もっと細かい情報はないのか?」

「聞こうにも、智之と漫才始めちまって話が進まねぇんだよ」

 呆れきった表情の一樹の視線は、ひらひらと飛んで逃げる精霊を、必死に掴もうとしている智之の間抜けな図に向けられていた。

「殴っても良いか?」

「お好きに」

 言葉どおりに精霊と智之をリドルが殴り倒した時、ヴィンドの街全体を取り囲む空気が変わった。

 街を取り囲んでいた風が止んだのだ。

「なんだ?」

 誰かが街から出たのか、それとも入って来たのか・・・・・・

「スィーラ様! 魔族です!」

「まぁ、敵襲ね」

 報告を受けてもスィーラは落ち着いていた。

「下手に手を出さない様、皆に伝令を」

「はい!」

 街の者が走り去るのと同時に、遠くから、でもはっきりと聞きなれない声が聞こえて来た。

「鍵、居るんだろ? 犠牲を出したくなければ石版を持って出て来い」

「ちっ、やっぱ狙いは俺達か」

 忌々しげに呻いてから、素早く移動をし始める一樹をリドルが止める。

「待て、行く前にこれを持って行け」

 そう言って一樹と智之、それぞれに差し出すのは不思議な輝きを持った二本の剣。

 不思議そうな顔をしつつもその剣を手に取った一樹から、感嘆の声が漏れた。

「これ、すげぇ……」

 まるで何年も一緒に戦って来たかのような、そんな感じのする剣だった。柄を握り込むと、手の平に吸い付いてくる気さえする。

「今度からそれを使って戦え。お前等なら使いこなせる筈だ」

「リドル、でもこれって……」

「出てこないなら、目の前にいる奴らから血祭りにあげるぞ?」

 リドルに問い掛ける一樹の語尾に、魔物の声が被った。質問を途中で止めて走り出す。

 少し走ると、街の入り口に黒衣に身を包んだ蒼い髪の男が立っているのが解った。

「お前が魔族か?!」

「鍵か、遅かったな」

 叫んだ智之は、笑みを浮かべ魔族の顔を凝視して、そこに血液が付着しているのに気づいた。

 それから、魔族の全身に目を向けてみると左腕だけをだす服のお陰で、その腕が血に染まっているのがわかった。

「てめぇ……!」

 一樹が唸る。

 男の手には血の滴る剣が握られ、足元には一人の町人の死骸か転がされていた。

「中々出てこないお前等が悪いんだろ? 俺は警告したはずだぜ」

 薄い笑みを崩す事無く言う。

「おいおい、そっちの『鍵』はどうした? 顔色悪いぜ?」

 言われて初めて一樹は智之が蒼白になっている事に気が付いた。原因は考えなくても解る。

 死骸から発せられる咽るような血の臭いだ。

 リドルもアテナもこの世界の住人だ。血の臭いも、人の死も身近な物だろう。

 だが二人は違う。人の死なんてTVやゲームの中だけで、親しい人が死んでもその死体を見る機会は殆どない。

 智之の反応が正しいのだ。

「智之、大丈夫か?」

「…うん、平気。もう、平気…」

 智之を心配しながら一樹は思った。

(なんで俺は平気なんだ?)

 なぜ? そう思った時に、魔族の男が言う。

「お前、闇の気が強いな。本当に鍵なのか?」

「なに?」

「光と闇が混在している筈の『鍵』にしちゃ、闇の気が強いと言っているんだ。自覚がないのか?」

「そんな事、解る訳ねぇだろ」

「ふん、まぁ混在している事に変わりないけどな。さて、そろそろ石版を渡して貰おうか?」

 言いながら、魔族は持っていた剣を振って先に着いた血を掃った。

 初めから話し合いで事が済むとは思っていない様だ。

「一樹、智之。気合入れろ。こいつを今までの魔物と同じに考えていると死ぬぞ。街の奴等を俺とアテナで避難させてくるから、その間持ちこたえろ」

 リドルの声が終わった瞬間、魔族の剣から水が滴った。

「水を生かす風の土地で、水属性の俺相手にどこまで出来るか、実力を見せてみな」

 地に滴った水が、急激にその量を増やし、一樹達の眼前に壁の様に立ちはだかる。

 風で壁が揺らぎ、先が見えたその時には既に男は智之の間合いへと切り込んでいた。

「! っく!」

 横に凪がれたそれを咄嗟に後ろへ飛んで切っ先をかわす。

「へぇ? ただ情けないだけじゃないみたいだな」

「これでも武術は得意なんだい!」

 言いながら智之も剣を振るうが、いかんせん剣はまだ不得手。用意にかわされてしまう。

「剣なら、俺が相手だな」

 横合いからの声と同時に、魔族に攻撃を仕掛けて来たのは一樹だった。その攻撃もギリギリのところでかわしてその剣先を見る。

 剣道で一樹の得意とする上段の構え。その構えをみて魔族は笑う。

「良い太刀筋と殺気だ。お前…お前名前は?」

「一樹」

「カズキ、か。俺は邪王軍の生き残り、水のエアストだ。さ、お互い名前を名乗った。これで五分。お前に魔術が使えればの話だけどな!」

 エアストの月形の剣が、そのままの形に水を吐き出す。水は凄まじい速さをもって刃と化し、カズキを襲った。

「水の刃よ、エアストの名において眼前の敵『カズキ』を撃て!」

「な……!」

 名前を知る、と言う事は『名前で相手を縛る』事になる。
 魔術を単体に使い場合、相手の名前を知っている事は攻撃力の増加に繋がる。

 剣での攻撃が来ると思い込んでいた一樹は、この攻撃を避けきれず、しかし何とか上段の構えから剣を振り下ろして刃を真中から切る事に成功した。

「無駄だ」

「?!」

 エアストの言葉とおり、水の刃は切り裂いた筈の剣をすり抜けて一樹自身を襲った。

「っ痛……!」

「この刃の欠点は殺傷力がない事だな」

 言う間にも水の刃を作り出して来るエアストの攻撃は、一樹の腕や足に裂傷を作っては消えていた。

「刺さりはしないって事か……」

「それもできるけどやらない。死なれちゃ困るからな」

 なるほど、この先石版を手に入れ為に鍵を殺せないと言うところまでエアストの思考は及んでいる。
 つまりは今までの知能の方も雑魚じゃないと言う事だ。

 一樹とエアストの戦闘が繰り広げられる中、智之はふとエアストの右腕に目が付いた。殆ど動かしていないからだ。

(片手だけでも余裕なのか、それとも……?)

 お互い、相手の出方を窺って膠着した状態がしばし続いた時、突如エアストの右腕に炎が上がった。

「ちっ、魔術師か?!」

 炎の点いた右腕を大きく振り下ろした瞬間に、じゅう、と音を立てて炎が消えてゆく。

「街の住人避難させたぞ」

「おせーよ」

 住民の避難を終わらせたリドルとアテナが駆け寄って来る。今の炎はアテナが上げた物だ。

(アテナ……ふぅん。鍵に取り入ってるっての本当だったんだな……しかし器用な女だな相変わらず。魔族のくせに光魔法を使うなんて)

 そんな事を思いながら、エアストは焦げた服を肩口から破り捨て、剣を構えた。

「四対一ってのは勇者としちゃ外道なんじゃないか?」

 皮肉った笑みを浮かべながら言うエアストに、智之が自身たっぷりに返す。

「うんにゃ! 王道だ!」

「やけに言い切ってくれるな……」

「大半の勇者は皆外道なんだ! モンスターを倒しちゃアイテムと金を奪い、レベルを上げる為に無実のモンスターを殺し、敵1人に対して4・5人で袋叩きにするんだ! これぞ勇者!あるべき姿!」

 ふんぞり返って勇者の姿を力説する智之に、そこにいた面々は一瞬凍りついた後それぞれの反応を示した。
 味方3人は深い溜息を付き、エアストは爆笑し始めた。

「面白いなお前」

「お前でなく智之。勇者は卑怯だから、怪我してるあんたでも容赦しないんだぞ!」

 智之が指差す先には、血こそ流れていないがまだ新しそうな傷を残したエアストの右腕があった。

「その傷だけじゃなくて、腕自体が上手く動かないんだろ? 体格に比べて筋肉が少しだけ衰えてる」

「トモユキ、とか言ったな。お前本当に面白いよ。馬鹿なのか鋭いのか解らない。だけど、邪魔だな」

 言い終わるが早いか、エアストが手中に作り出した水の矢を智之目掛けて打ち出した。

「うわっ!」

 持ち前の動体視力と運動神経でそれを見切り、直撃を避けたものの僅かにかすった部分でも裂傷を腕に残して行く。

「殺さないんじゃないのかよー!」

「一人居れば封印は開くだろ?」

 会話の合間にも鋭い水の矢が智之を襲った。

「アスラ」

「な、なに?」

 突然声をかけられて戸惑いながら返事をするアテナに、剣がさし出せれた

「これに火の属性かせてくれ」

「剣に?」

「あのエアストって奴は水属性なんだと。だから武器に火属性付ければダメージ高い筈だろ?」

(なんでそんな事知っているのよ…?)

 武器属性は、高等魔法使いだけが知っている高等魔法だ。一般の者が知っている事ではない。

 一樹は下の世界でやっていたゲームの知識で知っていたに過ぎないのだが、アテナを驚かせるには十分だった。

「私は、そんな高等魔法使えないわ……」

「じゃ、リドルは?」

「悪いな。俺は魔法自体が使えない」

「使えない?」

 たしかここの住人は全員魔法を使える筈。
 なのに使えないとはどう言う事か? 疑問には思ったがそれは後回しにして、一樹はもう一度アテナに向き直った。

「アスラ、上手く行かなくても良い。やるだけやってみてくれ」

「……わかったわ」

 一樹に火属性の武器なんて持たれては、エアストの分が悪くなるのは必死だったが、かと言って疑われる訳にはいかなかった。

 アテナは本当に初期の魔法を唱え、一樹の武器に火の属性をつけた。

「面倒なことを…!」

 智之に攻撃をしつつ、一樹の行動を視界の端で追っていたエアストは、水の矢を一本一樹の左腕に向かって投じた。

「うぁっ…!」

 鋭い痛みに耐え切れず、一樹から短い悲鳴が上がる。

「利き腕が仕えなければお前の攻撃も威力は出ないだろう?」

「一樹!」

 止んだ攻撃の隙を縫って、智之が駆け寄って来る。

「アスラさん、治癒呪文使えないの?」

「使えるわ。今やる」

 そう言ってアスラが一樹の傷口に手をかざした所で、それを邪魔するように他の手が遮った。

「アスラ、それ後でいいわ……」

「一樹……」

 止めていたのは他でもない一樹だった。驚いたアテナが一樹を見ると、右手一本で剣を握りなおし、それを正眼に構えた。

「エアスト、残念だったな」

「なに?」

「俺の利き腕は右なんだ!」

 正眼を崩し、素早い動きでエアストの懐に飛び込み、胴に剣を叩き込む。

「ぐっ……!」

 嫌な感触がした。

 胴に剣を叩き込めば、肉を切る嫌な感触が手に伝わる。
 感じた事のない嫌な感覚に、一樹は咄嗟に剣を引いたが、体制を崩したエアストが一樹の方に倒れ込んできた為、剣はより深くエアストに食い込み、その体重を支えきれなかった一樹諸共倒れ込んだ。

「一樹!」

 駆け寄り、エアストと一樹の体を離し助け起こす。

「そいつは? 生きてるか?」

「うん、一応……一樹?」

「回復してやってくれ」

 一樹の言葉に一同の動きが止った。が、すぐにリドルが怒気を含んだ声を上げた。

「どう言うつもりだ一樹。魔族を回復させてどうする?」

「それだよ」

「なに?」

「さっき、街の外でも思ったんだ。なんでこの世界の住人は魔族をそんなに毛嫌いする? カオスが酷い政治をしたのはわかってる。だけど魔族全部がカオスの手先だったのか? 魔族全部が一人残らず敵なのか?」

 そんな事は考えたことがなかった。リドルは一樹の問いかけに答える事が出来なかった。

「魔族でも、良い奴はいるんじゃないか? こいつがその『良い奴』だって保証はないけど、でも簡単に殺すのもどうかと思う。街の外でアスラが言ってたよな? 魔族だって命だって、それに、俺は賛成する」

「一樹……」

 一樹の言葉を聞いて、リドルは智之を見た。
 意見を求めている。

「俺は、一樹に賛成」

 当然、と言わんばっかりに智之は言う。それを聞いてリドルはもはや何も言わなかった。

 アテナが回復魔法をかけてから、暫くの後エアストの意識が戻った。

「俺は……?」

「負けたんだよ、一樹に」

 まだ少しぼうっとしているエアストに対して智之が聞く。

「エアスト、あんた利き腕本当は怪我してる右腕の方でしょ?」

「なぜわかる?」

「剣の使い方と走り込み」

「なぜ、俺は生きている?」

「一樹が助けたから」

「なぜ助ける?」

「助けたいから」

 沈黙が訪れる。

「カズキ、なんで俺を殺さない?」

「あ、無視された」

 話にならない智之を完全に視界から外し、逆に視界の隅にいた一樹を正面に捕らえてエアストが問い掛けた。

「さっき皆にも言ったけど、魔物だからって簡単に憎んで、差別して、殺して良い訳じゃないと思っただけだ」

「俺は街の住人を殺してるぞ?」

「それでも……」

「それでも?」

「お前は、戦ってても、なんか、邪悪なだけの存在じゃ、ないような気がしたんだ」

 言葉を捜すように一言一言区切って話した一樹の言葉に、エアストは心からの笑顔で爆笑していた。

「変な奴等だよ、本当に」

 実際、殺した町の住人は、鍵の2人がくれば何もしない、と言ったのに、その言葉を信じず問答無用で攻撃をして来たので反撃をして殺してしまったのだ。

 初めから虐殺をする気はなかった。
 それが、なぜこいつにはわかるのか……

 笑みを浮かべたまま立ち上がると、エアストは天に向かって顔を向け、おもむろに腹からの声を上げた。

「我等が戦いの女神アテナ、そして我が宗主カオス! 俺は貴方達の期待を裏切る!」

「?!」

 今度驚いたのは一樹達の方だった。

「エアスト、じゃぁ……?」

 仲間になるのか? と言う智之の問いかけは、途中でエアストの視線に捕らえられ言葉を飲み込まざる得なくなった。

「勘違いするな。今殺さないってだけだ。お前達がカオス様を倒し、カオス様の理想よりも優れた世界を作れると、そう確信できなかった場合は、即効で殺してやるよ」

 そう言い放つと、エアストは歩き出した。

「せいぜい腕を上げるんだな」

 軽く手を上げると、どこからか水竜巻が上がり、それがなくなる頃には、エアストの姿は消えていた……