「父上遅いね・・・」

 今だ封印の助けとなる祭りは行われる中、祭壇の前でイシュラムの息子が呟いた。

「何か、あったか……」

 息子同様、族長にも不安が過ぎる。

「イシュラム……」

 息子の横で、リィラは夫の名を呼び、手を組んで夜空に祈る。望んで一緒になった訳ではないと言っても、リィラにも情はある。無事の帰りを祈るのは、当然の事だった。

  しかし……

「祭壇の炎が!」

 村人が悲鳴を上げる。封印の助けに、聖なる炎を炊き続けていた祭壇が、突如崩れた。
 そこから吹き上がる炎の色が、黒い……

「黒炎…」
「邪悪なる、炎……!」

 恐怖の色に声を染めならが、炎を見つめる村人達の耳に、見張り台からの鋭い声が届いた。

「長! 蒼玄竜緋洞が!」

「なんと…!」

 見張りの声で、その指の指す方を振り仰いだ族長が見た物は、蒼玄竜緋洞から天へと上る黒い炎。

「邪悪なる炎が、封印の地に…」

「しかも、あの位置は……」

「邪剣カオスの封印場所、白鳳廊だ」

「イシュラム…失敗しおったか……」

 封印が、失敗した。

 失敗とはつまり、邪王カオスの復活、もしくはそれが近い事を意味する。

「致し方ない。討伐対、準備を」

「長! しかし、イシュラムの安否はまだ…!」

「あれが外に出てからでは遅い! 先頭態勢で蒼玄竜緋洞へ向かえ!」

 怒鳴る族長の声に気迫負けし、討伐対が出立する。

 イシュラムを助ける為に、あの邪王復活を見過ごすわけにはいかない。その意見は正しい。しかし、基本的に戦闘能力のないシール一族が戦うと言う事は、蒼玄竜緋洞全体を外界から隔離し、破壊すると言う事だ。

 もしイシュラムが生きているとしたら、自分達の手で殺さなければならない。

「父上を見殺しにするの? おじい様……」

 イシュラムの子供が、涙ぐみながらも祖父を睨む。その瞳を受けて、さしもの族長も顔を歪めたが、決定は覆せなかった。

「黒炎は邪悪なる者の証。それが出現したからには封印の失敗は明らか。封印が失敗した時点で、イシュラムの命は……無いと見て良いだろう」

「でも……!」

 息子がまだ何か言おうと口をききかけた時。村の入り口で絶叫が上がった。

「何事だ?!」

「イシュラムが、戻って参ったようです」

「しかし…様子が……!」

 入り口から取って返し、族長への報告を最後まで告げる事無く、男の命は奪われた。

「イシュ…ラ…ム……」

 呟きを最後に男の体は瞬間的にミイラと化した。

 見れば、入り口から転々と倒れる男達の体は皆、ミイラ化していた。しかし、血の気は失われていない。

 水分と精気だけを吸い取られているのだ。

 躯となった男から剣を引き抜くのは、邪悪な笑みをその顔に浮かべて、まるで別人のようにも見えるが間違いなくイシュラムだった。血の滴る剣を携え、怪しげな笑みを浮かべるイシュラムの瞳はどこか虚ろだった。

 シール一族は、一家族づつでそれぞれの祖先から血と共に受け継がれる物があった。

 過去に邪王カオスの配下であった闇の眷属達。それらの封印を、自らの血と肉を持って行っているのだ。

 倒れた男達の躯を突き破り、異形の者達が這い出してくる。

「雑魚はもういい。わが腹心、アテナ。蘇らせて貰うぞ!」

 イシュラムが咆える。

 構えられた剣は、彼の親友であるガファラに向けられていた。

「イシュラム、目を覚ませ!」

 ガファラの叫びなど届いていないかのように、イシュラムの太刀筋に迷いは無かった。

 振り下ろされる銀の剣を横に避けてガファラは一難を凌いだが、次に迫った一難は回避できなかった。

 避けられた事で完全に大勢を崩していた筈のイシュラムが、片手で剣を掴みそれを常人では考えられない力と速さで横薙ぎに払って来たのだ。

「! イシュラム…!!」

 予測のできなかった攻撃をまともに食らってガファラは、腹に剣を食い込ませてその場に崩れ落ちた。

 たちまち広がる血溜まりに、イシュラムの足が浸かる。それでも、彼は笑みを消さなかった。

「闇に染まりおったか! イシュラム!」

 怒気を孕んだ族長の一括で、一瞬体を強張らせたが直ぐ緊張を解き、薄ら笑いを浮かべながら族長に向き直った。

「族長ともあろう者が、この剣を見て気が付かぬか?」

「なに?」

 言葉につられ視線を剣に移す。

 それは……

「邪剣…カオス!」

 一瞬のうちに顔色を失った族長を見て、イシュラムの口から声を出して笑いが起こった。

 いや、そこで笑うのは、もはやイシュラムではない。

 魂を食われ、体を乗っ取られたただの『器』

 イシュラムは、その体だけを残して、カオスに殺されていたのだ。

「やはり、イシュラムに『重ね封印の儀』は荷が重かったか……」

「そんな事は無い」

 族長の呟きに答えたのはイシュラム、いや『カオス』だった。

 ぴたりと笑いを止めて、まじめな面持ちに戻ったカオスは、イシュラムを褒め称えた。

「こやつの呪力は相当な物だ。重ね封印が完全に仕上がっていたら、我の力を持ってもこの器を奪う事は難しかったかもしれん」

「ならば、何故……?」

 呪力が十分だったのならば、何故乗っ取られた? その疑問を族長が口にした時、異変が起こった。

「うわぁああ!」

「なにごとだ?!」

「ガファラ、ガファラの血がぁ!!」

 騒ぎの中央に、まるで生き物のように地面を這いずり回るガファラの血があった。

 蠢くそれは、近くに駆け寄っていたガファラの妻を取り込んで、見る見るうちにその精気を吸い取って行く。

「闘神アテナの復活だ」

 笑みと共に呟くカオスの声をきっかけに、血が渦を作り天に向かって昇って行く。

 渦は次第に人の形をとり、立体化して行く。

「やっと、忌々しい封印から解き放たれたわ……」

 美しい声と共に、完全に立体化したガファラの血は、瞬時に女性の体へと転じた。

 戦いの神と呼ばれる程の戦闘力と呪力を誇る、カオスの腹心。アテナの復活だった。

「お久しゅうございます、カオス様。開放の恩、働きにして存分にお返し致しますわ」

「期待している」

 邪険で切られた者は封印の力を失い、その血液から闇の眷属が復活する。このままでは邪王軍の完全復活がなされてしまう。

「これ以上の犠牲は出してはならん! 皆の者!」

 族長の声と共に一族のものが一斉に呪力を解放した。温存無しの全力で、カオスをこの地に封印させるつもりなのだ。

 この世界の住人は、光か闇、どちらかの性質しか持たない。よって、光の性質を持ったイシュラムの体を乗っ取ったとしても、カオスは完全に復活したわけでは無い。

 闇の性質を持って、カオスの呪力を受け入れられる『器』を用意するか……

 異世界への扉を開き、闇と光の混在した性質を持つ『異世界の住人』を『器』とするかのどちらかが成されれば、カオスの完全復活となる。

 それをさせない為の封印。

「イシュラムの果たせなんだ仕事、全員で行うぞ!」

 決死の意が伝わる族長の言葉に、アテナから高らかな笑い声が帰ってきた。

「何を笑う!」

「可笑しいからよ。この事態を引き起こしたのはイシュラムの責任だとでも言いたげなんだもの」

「他に要因は考えられん」

「貴方のせいじゃない」

「なんだと?」

「光の性質を持った者が、闇の者に体を乗っ取られるのは、その心に『闇』を宿しているから。イシュラムの心にも闇が宿っていたのよ」

「闇…だと?」

「そうよ。貴方に認められたい。皆に認められたい。強い力が欲しい。今よりも、もっともっと強い力を。そうして皆に認められれば、妻にも愛されるかもしれない。族長に、息子と認められるかもしれない。イシュラムのその孤独なまでの欲望が、カオス様の入り込める闇を作った」

「お陰で楽だったぞ、この男の魂を殺すのは」

「………なんと言う………」

 族長の顔に、後悔と罪悪感の影が浮かんだ。

 この事態を引き起こしたのは、自分。

 イシュラムを殺したのは、闇を住まわせるほどにイシュラムを追い詰めた自分……

「諸悪の根源を絶つと言うのなら、死ぬべきは貴様だ!」

 族長の心を代弁するかのようなカオスの叫びと共に、剣が振り上げられる。

 咄嗟に、族長の周りに居たものが盾になるべく剣の前に立ちはだかったが、それは意味をなさず、諸共に切り捨てられた。

「族長!」

「くそっ!」

 あっけなく長を殺されても、残った物は戦うしかなかった。

 しかし、本来戦いを得意としないシール一族が、戦いと破壊の神を相手に適うはずも無い。

 次々と殺されてゆくシール一族と、それに比例して復活してゆく闇の眷属達。

「闇の時代の再来だ!」

 邪王軍の完全復活は、こうして果たされた。