ヴァッサーの洞窟。それはまさに水中迷路だった。

 別段仕掛が有る訳でもなく、ほんとに迷路だけ。しかも泳ぎながら、だ。

 洞窟の入り口付近までは船で案内され、そこからはずっと泳ぎっぱなし。
 空気は補給できるから問題は無いが、疲れても休めないと言うのが難点だった。

 洞窟には屋根に当たる部分もあるので、疲れた時には泳ぐのを止めて、水に身を任せていたのだが、ついさっきそれをやった時にあまりにも緩やかだったので、流されている事に気が付かず、現在思いっきり迷ってしまったのだ。

「どーすんだ? 行き止まりだぞ?」

「でも、こっちの方に行かないとまた別の行き止まりに行っちゃう筈だよ?」

「何か壁を動かす仕掛けがあるんじゃないかしら?」

「それは、このレバーの事か?」

 一樹が見つけたレバーは、如何にも引いて下さい! と言わんばかりの目立つ物で、しかも、この洞窟に入ってから初めての人為的な物だった。

「明らかに怪しくないか?」

「でも、怪しいと見せかけてこれが正解かもしんないじゃん」

「それで何か起こったらどうするのよ?」

「回避するしかないだろ。引くぞ」

 やってみなくては話が進まない。一樹はこうしてギミックの宝箱等をくまなく開けてみるタイプのゲーマーだった。

 レバーを引いてみると、ゴゴッと言う低い音を立てながら、壁だと思っていた物が開き始めた。溜まっていた砂が水に舞うせいで一気に視界が悪くなる。

「うわ、なんも見えない」

 舞い散る砂を口に入れないように押し黙る三人に対して、智之は一人で騒ぎつつ手で自分の前に来る砂を払った。
 しかし、それごときで視界は晴れるわけがない。
 その時、智之の隣にいたアテナが、ペンダントの石に手を当てて、短く呟いた。

「ヴァータ」

 ペンダントが淡く光、アテナの両手に風が起こる。

 その風を前方へ投じ、渦を作って砂を視界からどかした。
 と、奥の部屋へ消えた風の渦が、何かにぶつかったのかドォンと言う音をたて、続けざまに悲鳴のような物が聞えた。

「今の声って、何かな?」

「行ってみなきゃわかんねぇな?」

「いや、解る」

 リドルの強張った声に二人が振り返ると、奥の部屋を見据えたまま硬直しているリドルが居た。

「アスラ……何て事してくれたんだ?」

「ごめん……」

「うわ……」

「でっかいタコだー!」

 部屋からは、明らかに怒っているであろう様子の全長20メートルはあろう巨大タコが足を伸ばして来ていた。

 どうやらこの部屋で大人しく寝ていた所、いきなりアテナの放った渦に攻撃されて機嫌が悪いらしい。

「ねーリドル、こいつ食えるかな?」

「焼かなきゃ駄目じゃねぇか?」

「俺はゲソより刺身が好きだ」

「一樹、ゲソって何よ? 料理?」

 緊張感が無いのか、現実逃避をしたいだけなのか、呑気な会話をしている一同に巨大タコの足が襲い掛かる。

 が……!

「遅い!」

「でかいだけに動き鈍いのか」

「良かったじゃない。楽な戦いで」

「墨吐かれ無いうちにさっさとかわして行こう」

 一樹の意見に賛成して、足の間をすり抜けて行く4人に、余計腹を立てたのか、巨大タコの足がうなうなと動くが、如何せん遅い。余裕で攻撃を避けてさっさと先に進む4人であった。

「そういやさ、アスラってなんで色々な魔法使えるんだ?」

 一樹の質問に、アテナの心臓は心拍数を急上昇させた。

「闇の魔術を使えるのは、研究者だったからだろ? でもなんで属性以外の魔術も使えるんだ?」

「それは、石のおかげよ」

「石?」

「魔術を使う時に必要な媒介。今までも使ってたでしょ? 各属性の気を込めた物をそれぞれ持ってるの」

 アスラの答えに、智之が胸元のペンダントを指差しながら更に質問を重ねた。

「ふぅん。んじゃ、それ持ってれば他の人でも他の属性の魔法使えんの?」

「使えると思うわ。ただ、かなり魔力を消耗するからやらない方が良いわね」

「じゃ、闇魔法使うのも辛いの?」

「ええ。それに誰でも使えるわけじゃないしね」

「なんかあるのか? 基準」

「大体が異世界の住人と、この世界の住人のハーフね。異世界の人間は魔法を使えないけど、光と闇が混在している。
 こっちの世界の人間は光だけだけど魔法が使える。その子供は、微量ながら光の中に闇を抱えて産まれ、魔法を使う事が出来るの。だたし、闇魔法についてはほんの初歩級だけだけどね」

「ふぅん。じゃ、アスラはハーフなんだ」

 智之の言葉に、アテナの表情が曇る。

「あや、聞いちゃまずかった?」

「いいえ、良いけど。私ね、小さい頃の記憶無いのよ。だから自分の出生でも詳しい事は解らないの」

 それなのに、巫女としての大役を仰せつかった『アスラ』に智之は感心した様な声を上げたが、リドルはその会話を厳しい視線で見つめていた。

「リドル?」

「……一樹、後で話がある。智之にもだ。話はアスラ抜きでしたい。この洞窟を抜けたら、ちょっと顔貸してくれ」

「? 解った」

 リドルの言葉に意味深いものを感じ取った一樹は、神妙な面持ちで頷いた。

 会話をしながらもどうにかこうにか迷路を抜け、4人は1段と広い場所へと辿り着いた。

「ここかな? 石版」

「しかし……何も無いぞ?」

「仕掛も見当たらないわね……」

「精霊ズ。何か心当たりないか?」

 石版をまとめて入れてある袋を一樹が開けると、2人の精霊が水中にも関わらず、空中を舞うのと同じ様に軽やかに踊り出た。

【石版が見当たらないってか? んなはずねぇってんだ! よく捜しやがれってんだぜ!】

【水精霊、此処存在確実! 仕掛無、石版埋没可能性有!】

 2精霊の言葉で、各自手分けをして壁や床に這いつくばる。

 もし壁なんかと同化しているのなら、よく探さないと見つからない。

「んー? これそうかな?」

 壁を調べていた智之が、自信なさ気に皆を呼んだ。

 壁画が書かれている部分。どうやら壁画はカオスと前の鍵との戦いが描かれているようで、最後の方に石版を四枚に砕いてそれぞれの封印の地に持ってゆくまでが描かれていた。

「ほら、この部分」

 と智之が指し示すのは、四枚に分かれた石版の絵の部分。確かに一枚だけ感じが違う。

「でもよ、これだとして、どうやって掘り出すんだ? 下手すると一緒に崩れちまわないか?」

「確かに。お前等の力で何とかならないのか?」

 横に居る2精霊に一樹が聞いてみた所によると、この石版の精霊が目覚めれば、精霊同士の同調で引き出す事も出来ると言う事だった。

「起すったって……」

「どうすれば良いのよ?」

【鍵が来たんだから起きろ〜って念じれば良いってんだ!】

「はい。俺そう言うのパス。一樹頑張っておくれ!」

「お前なぁ……」

 仮にも格闘家の言葉とは思えない。

 確かに、弓道や剣道といった精神を主とする物をやっている一樹の方が、精神統一は早いかもしれない。しかし、格闘技だって、もちろん精神集中は必要だ。それを苦手と豪語するのもどうだろう?

 そう胸中で思いながら一樹は石版に手を翳して、神経を集中させる。

(起きろ。鍵が来たぞ。やっと来た出番なんだからさっさと出て来い!)

 目を閉じて一点に神経を集中させる一樹の周りに、緩やかな波が起こる。一樹の放つ気が、周りの水を動かしているのが解る。

 それを見て、2精霊が一樹の肩に乗って自分達の気を同調し始めた。すると、波が徐々に一樹の手元に集まり、淡い光を帯びて来ると、静かに、石版が動き始めた。

「あ……」

 するっと、壁から石版が零れ落ち、一樹の様子を見守っていた智之が慌ててそれを追いかけた。

「取ったー!」

 一樹の居る場所の真下から智之の声が聞える。その声を合図に一樹も集中を止めた。

「あー、疲れる」

「おつかーれ。ほら石版」

 智之が一樹の元に戻って来ると、石版とその上でふにゃっとなっている蒼色の精霊が見えた。

「なんだ? こいつ。元気無いな」

【水精霊寝坊。常睡眠中】

「おいおい……」

 フォイヤーの言葉に苦笑を浮べつつ、一樹は指先でヴァッサーをつついてみる。

【うぁ〜…? おあようごらいまふぅ〜】

「うわ、やる気ないなこいつ」

【やうきはあるれふぅ〜。だぁらみぃんなをちじょーにおくるのぉ……れふぅ〜】

 ゆらぁっとした動きと口調がなんとも緊張感が無いが、起した行動は凄かった。

 皆が集まっている下の方からいきなり渦が出来たと思ったら、その渦は上昇をはじめ、4人を飲み込んだまま洞窟の天上を突き破り水面へと急上昇して行く。

「うわわわわわわわわ!」

 ドーン! と言う音共に、静かな水辺に水竜巻が上がった。

「わーーーーーーーー!!」

 水中から出た事によって水竜巻は消え、4人は放り出される形で水田の中へと落下した。

「……お、お帰りなさいませ」

「タダイマ……」

 水田で作業をしていたヴァッサーの住人と、奇妙な会話をするしかない4人だった……