令 |
黒の森に、珍しく賑やかな声が響いていた。とは言っても、声の主は一つだけだが。
【ちょっとー! エーアデの事こんな所に連れて来てどうするつもりー? 言っとくけどエーアデ魔物になんか手ぇ貸さないんだからね! ちょっと聞いてるー? 】
「少し黙れ……」
石版を奪ったはいいが、その石版を守る精霊が一番五月蝿いエーアデだったのはドライにとって不幸な事だった。
命を削っての魔法は、内蔵に大きな傷を残し、いまだそれは治りきっていない。
「ドライ。具合はどうだ?」
森の奥から、新たな媒体となる石を持っきたフィンがドライに近付く。
【あー! 美形のお兄様! やっと戻って来てくれたのねー! このおじさんあんまり話してくれないからエーアデ退屈だったのー】
マシンガンのように喋り捲るエーアデに、軽く溜息を付いてから、フィンは何の感情も見えない瞳を向け口を開いた。
「石版に傷をつければお前達精霊は死ぬ。石版は原型が留まっていればその役割を果たす。精霊がいなくても、だ。消されたくなかったら黙っていろ」
これには、流石のエーアデも黙るしかなかった。
「最後の石版も、鍵は探し出したらしい。アテナ様から連絡が入った」
「では、いよいよだな……」
「無事、石版と剣を奪えればの話だがな」
二人の会話が終る頃、森の空気が変わった。元々暗かった空気が更に暗くなる。
「この気は……」
空気が変わっていった方向を睨む二人の目に、一人の男が映った。
「無事に奪って来て貰わねば困る」
呆然と男の姿を眺める二人に、男は不適な笑みを浮べ、近付いていった。
「まさか……」
「カオス様………?」
「久しいな。二人共」
笑みを浮べるその顔は、魔族の物では無かったが、それから発せられる気配は、明らかに魔族のそれだった。
「カオス様……なぜ…?」
「薄れた封印を縫って意識だけを飛ばしている。魂はまだ剣の中だ。鍵との戦いに、体が無くては不便だからな。今宵はお前達に伝える事があってな」
「伝える、事?」
「石版と剣、それに鍵のうち、闇の力が強い方を生け捕りにして連れて来るのだ」
「鍵を、ですか?」
「理由は後になればわかる。上手くやれ」
言うと同時に、カオスの姿は消えていた。
意識を飛ばすだけで、そこまでの力が使えるカオスに、二人は少なからず驚いた。
「カオス様は、一体何をするおつもりなんだ? 鍵を捕えてどうする?」
動揺が窺えるドライに、フィンは冷静さを取り戻した声で言う。
「鍵の体を、乗っ取るつもりなんだ。闇と光が混在する鍵ならば、魂を消さず、吸収する事が出来る」
「鍵の魂を吸収して、どうする?」
「カオス様が、闇と光の混在する存在となり、この世界の魔法は、カオス様の前に全て無効化される」
光の魔法は闇だけを止める存在。
闇の魔法は光だけを止める存在。
二つの力を併せ持つ『鍵』はそれら全てを素通り出来る。
そう言う事か、と納得するドライの傍らで、フィンの表情は何故か暗い。
「どうした?」
そのフィンの様子にドライが怪訝そうな視線を向ける。
「ドライ。カオス様の『理想』を覚えているか?」
「当たり前だ。突然何を言う」
「では、その理想は実現できそうか?」
フィンの問いかけに、ドライは言葉を詰まらせた。即答できないのは、己の中に迷いがあるからだと、ドライもフィンも解っている。
「闇も光も無い世界。それが俺達がついて行こうと思ったカオス様の理想だ。
その為に、人間の中でも迫害信仰者の『聖者』や『シール』を抹殺して来た。
奴等を排除しなければ、俺達の力は封じられたままで、理想の実現は出来ない。
だから仕方の無い事だと解っている。しかし、今はどうだ?」
いつも簡潔に物を言うフィンが、淡々と己の心境を語る。珍しいフィンの名画台詞を、ドライは無言のまま聞いていた。
「理想の名の元に、無関係の者まで殺している。それに……」
「鍵、か?」
探るようなドライの言葉をフィンは頷く事で肯定し、確信を持った自分の予想を口にした。
「前大戦も異界との扉は開こうとしたが、それはあくまで光と闇の仲介役を委ねる為だと聞いていた。だが、カオス様の異界への執着は大き過ぎる」
そのフィンの言葉を、反芻してからドライははっとした表情を浮かべた。
フィンの言葉の意味を理解したのだ。
「カオス様は、異界の人間とも争いを起こす気か?」
「おそらく」
二人の間に沈黙が落ちる。
命令は絶対。
決行は明日。
二人の沈黙は、朝まで破られる事は無かった・・・・・・。 |
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