水田の中に落下した4人は、冷え切った上に泥だらけになった体を清め、もう一晩の宿を、ヴァッサーで借りる事になった。

「ここを出たら、一度ツェントルムに戻ろう。装備も魔法防御が高い物に変えた方が良いだろうし、サルースも合流しやすいだろう」

「そうだねー。聖者さんにも一応報告した方が良いだろうし」

 リドルの発案に智之が肯定の意を伝えると、横にいた一樹からもっともな突っ込みが帰ってきた。

「おい、奪われた石版の事忘れてねーか? あれはどうするんだよ?」

「石版は4枚揃わなくちゃ意味が無いわ。きっと、封印の地で魔物が待ち構えてるわよ」

 これからの事を話し合う4人のいる場所は、街の中心部から少し離れた場所にある今は使われていないと言う小屋だった。

 ヴィンドやフォイヤーでの様に街中での戦闘を避ける為だった。

 辺りが静まり返っているせいで、感覚が澄んで気配の揺らぎに敏感になっていた一樹が、何かに気付いて外へと視線を向ける。

「二人、か?」

「リドルも気が付いたか?」

 小屋の外に、魔族の気配がする。だが、襲ってくる様子は無い。どうやらこちらが出て来るのを待っている様だった。

「折角だから行こうよ」

 智之の言葉で、全員が外に出た。

 小屋の外に居たのは、先日対峙したばかりのドライと、黒髪の魔物フィンだった。

「石版を、頂きに来た」

「素直に渡す筈無いだろ?」

 無表情に言うフィンに、刀を構えつつ智之が返すと、意外な言葉が返って来た。

「お前は石版を失うよ。確実に」

 フィンの言葉に、智之が何かを聞き返そうとした時

「アグニ」

「!」

 背後から小さく呪文が聞え、石版をまとめていた袋を紐の所から焼き切られた。

「え?」

 あまりの事に驚いて一瞬棒立ちになってしまった一樹と智之の間を、背後に居た術者が素早く通り抜ける。
 気が付いた時には術者はフィン達の元にいて、その手には石版の袋と、一樹の剣が握られていた。

「……やはり、魔族だったか。アスラ!」

 怒鳴るリドルの言葉で、智之も一樹もやっと状況を飲み込んだ。

「アスラさん……なんで?」

 炎の術を使い、石版と剣を奪ったのは今まで仲間として背後に控えていたアスラだったのだ。

「一樹、貴方ならわかってるわよね? どう言う事なのか」

「……ああ」

 一人全く状況を把握出来ていない智之にもわかるように、そして自分の中の推論を確認するように一樹がゆっくりと言葉を吐いた。

「お前は巫女なんかじゃなく、魔族で、始めっから俺達の仲間じゃなかったって事だろ?」

「……そうよ」

 今までに見た事がない、冷たいアテナの表情と、一樹の言葉に、やっと智之も状況を飲み込み、リドルに更に質問を続けた。

「…リドルさん、やっぱりって……?」

「初めに気が付いたのはエアストの言葉だ。我等が戦いの神『アテナ』。奴はそう言った。最初は似たような名前だと思った。けどな、思い出してみろ。お前達の世界の神にアスラと言う闘神が居るだろう?」

 アスラ、とは阿修羅の事。天と戦い、常に相反する世界との戦いを意味する闘神。

「いつかそんな話を聞いた事があってな。それを思い出した時から、警戒はしていたんだが……」

「さっき言ってた話って、それか?」

 流石に同様の見えるリドルに、一樹が僅かに近寄って確認する。

「ああ。話す前に行動されちまったがな」

 悔しそうに言うリドルに、冷たい視線を投げならがら、アテナは二人の魔族に撤退を命令した。

「そうも、いかないんです」

「どう言う事?」

 撤退拒否を、やはり表情の見えない顔で言うフィンをアテナはきつく睨む。そんなアテナの視線を受けても、フィンの表情は動かない。

「カオス様からのご命令で、鍵の一人を生け捕りにして来いと」

「カオス様の?!」

「詳しい話は後ほど。今は奴を捕える事が先決」

 フィンが軽く腕を降った途端に、対峙する6人の周りを取り囲む様に、炎の壁が出来あがった。

「逃げる事はさせない。行くぞ」

 炎を剣に具現化させたフィンと、複数の鎌鼬を手中に作り出したドライが同時に動く。武器を失った一樹を、咄嗟に庇うように智之が前に立った。

「うっわ……っ!」

 脳に直接響くような不可思議な音と火花を散らしながら炎の剣と変形石の剣がぶつかった。

 智之の剣は守りに適している為受け切れたようだが、他の剣では炎の勢いに刃の鉄を焼き切られているだろう。

「智之、剣貸せ。お前は銃で風使いの方を飛び道具同士でどうにかしろ」

「わかった」

 決まるが早いか、智之は一樹に剣を渡そうとした。その時

「一樹! 逃げて!」

「えっ?」

 突然降って来た新手の声に驚きつつも反応し、咄嗟に一樹は大きく後ろへ跳んで逃げた。
 次の瞬間、先程まで一樹が立っていた場所には雷を編んで作った巨大な網が地面を抉っていた。
 放ったのはフィンの影に居たアテナだった。

「シールの小僧か……」

 捕縛用の網を手元に戻しながら、声の方にアテナが振り向くとその視線の先に白銀の髪が現れた。フィンの作る炎の壁を上から越えて、一樹と智之の横に降り立つ。

「遅くなりました」

「サルース、一体……?」

 今の網はどう言う事だ? と尋ねる一樹に、サルースは魔族達の思惑を簡潔に答えた。

「カオスは闇の力の強い一樹を手中に収めようと狙っています。早く安全な場所へ」

「逃さん」

 サルースの言葉が終わらないうちに、フィンから雨の様な炎の槍が放たれる。

 その数と炎の勢いに、智之は持っていた剣を盾に変化させ防ぐ事しか出来なかった。サルースでさえ詠唱が間に合わず、剣で凌ぐのが精一杯だった。

 しかし、一樹は剣も魔術も無くその槍の直撃を受けてしまった。

「一樹ぃ!」

「うぁあああ!」

 刺さった途端にその傷口を焼かれ、一樹の口から絶叫が漏れる。

「一樹!」

 倒れこむ一樹に、更に横合いからドライの攻撃が襲い掛かるがそれはリドルによってどうにか防いだ。
 しかし、そのせいでリドルがドライと一対一の攻防戦になってしまい、炎の剣を再び一樹へと向けるフィンに抵抗できるのは一樹を庇う智之だけに思われた。

「ヴァルナ!」

 ギリギリの所で詠唱を完成させたサルースの手から大量の水が沸き起こり、上空から水の槍となって降り注ぎフィンに攻撃の中断を余儀なくさせた。

 相対する魔物の出方を探りつつ、サルースは簡単な治癒魔法を一樹にかけるが、傷は思ったよりも酷い。

「どけ。お前に用はない」

 一樹とサルースを庇って剣を構える智之に、フィンは短く告げた。
 それは威圧的で冷たい声だった、しかしそれに怖気づく智之ではない。

「退くわけ無いだろ?」

 智之は剣は得意じゃない。その情報はエアストから聞いていたが、フィンはあえて剣での勝負を求める智之に応じた。

「怒りで、戦闘力を上げるか……良いだろう。魔力は無しで戦ってやる」

 炎の剣が構えられる。一瞬の間を置いて、両者の猛攻が始った。

 剣を苦手とするとは思えない素早い智之の打ち込みに、フィンの太刀筋が全て防がれている。

 智之が攻撃に転じても、同じ様にフィンに防がれてしまうがそれでも五分。

(思った以上にやるな……)

 埒があかない、そう悟ったフィンは剣を片手で持ち、開いた手にもう一本の剣を出現させた。

「ずるい!」

「二刀流の方が高等技だ。咆えるな」

 二刀流ならば、技も増えるし、攻防同時に行なえ、戦力は増す。しかし相当な使い手でなければ、バランスを欠いて逆に隙を作る事になる。

「行くぞ」

 今までとは全く違う太刀筋に、智之は防戦を強いられた。一撃を防いでも、直ぐ背後から、そして横からとニ撃目が現れる。休み無く繰り出される剣撃に追いつかなくなって来た智之の腕や脇腹、足と無数の裂傷を産んだ。

 ドライとの戦いを繰り返すリドルも、魔術無しでは分が悪い。受けるのが精一杯で智之の事を助けるまで手が回らない。

「智之、避けて!」

 後方からの叫びに、反応した智之は咄嗟に地に伏せた。

「!!」

 一樹の治癒を行っている物と思っていたサルースが、何時の間にか攻撃詠唱を完成させ、その呪文から繰り出された岩の槍は、フィンの眼前に迫っていた。

「くっ!」

 数本は切り落とす事に成功した物の、捉え損ねた2本の槍が、フィンの肩と足を捕えた。と、同時に横合いからドライの鎌鼬がサルースを狙って放たれる。 

 噴出す鮮血に顔を歪ませながらも、フィンは声を上げる事が無かった。その隙に智之はフィンとの間合いを広げ、サルースはドライから放たれた鎌鼬を防ぎ、次の詠唱に移る。封印呪文だ。

「させるわけにはいかん!」

 手負いの今、サルースに封印呪文を使われては、フィンは完全に封印されてしまう。ドライはサルースへの攻撃を続けた。

「お前の相手は俺だろうが?」

 注意をサルースに向けた事で、リドルへの隙が一瞬生まれた。

「ちぃっ!」

 リドルから放たれた刃が、ドライの身に届くか届かないかの所で、ドライとフィンの体を、見えない壁が覆った。

「なに?!」

 魔法も剣も届かない二重防護壁。風の超高等魔法の一つ、この場にそれを使えるのはアテナしか居ない。

「撤収よ。フィンがその状態じゃ分が悪いわ。鍵の生け捕りは封印の地で行なえばいい」

「アスラさん!」

「我が名はアテナ。カオス様に使える闘神。覚えておきなさい」

 闇に溶けるアテナの冷徹な声は、もう元には戻れない事を物語っていた。