学校から帰って、家で一旦飯食って、バイトに行って、バイトが終って、バイト仲間と駄弁ってて、そろそろ帰るかな―、と言う時に一樹から電話が来た。

『智之? お前これからうち来れるか?』

「行けるけど? 明日休みだし」

『じゃ、悪いけど今から言う物買って来てくれないか? 金は後で渡す』

 と言うので俺、横田智之は夜十二時を回った今から、一人暮らしをしている親友・滝川一樹の元へ行く事になった。

 俺の家は極普通の家庭で、親や兄弟にも不満は無い、周りから見たらお気楽御気楽に成長してきた。
 一樹の家とは正反対だったわけだ。

 だけどうちにも困った事情がある。
 母親が妙に神経質で超後ろ向きな性格の為、迂闊な事を口に出せない。
 逆に父親は自分の事以外には割と無頓着で、余り言葉を多く発する方じゃない。
 だから後ろ向きな母親は父親の無言を『怒っている』と解釈する。
 そして悩む母親を宥めるのが俺と姉貴の役割だった。
 ので、いつの間にか割と達観した性格になってしまっていたのだ。

 とは言え、母親はそれ以外は理解のある放任主義の割と世間の母親とはズレた感覚の持ち主なので、そんなに悲劇的ではない。第一、自分の性格は別に嫌いじゃないし、友達の役に立っているなら良いと思う。

 一樹は家の事情が複雑すぎて、後ろ向きと言うか、超現実的で、あいつを取り巻く『世界』は綺麗事じゃどうにもならない現実ばっかりだから、考え込みやすい。

『考え込んでも前には進めないだろ?』

 と言って、思考を止めてやれば、あいつは自分で行動出来るんだ。

 一樹は俺に救われたような部分もあるって言ってたけど、俺は考え込みそうになってるのを止めただけなんだから、一樹の力だと思うんだけど、奴は

『俺一人の力じゃない』

 と言い張る。

 でも、友達に良く思われるの良い事だ。

「智之」

 ノックも無しに、年頃の弟の部屋に入ってくる無礼者は、もちろん我が姉だ。

「あんた大会何時よ?」

「再来月」

「なんだ、まだまだか。面白くないわ」

「なんで?」

「会場で逞しいお兄様方をゲットする為の準備をしなくちゃならないからね。聞いておこうと思ったのよ」

 我が姉ながら、変な趣味だ……

 大会、と言うのは俺が小さな頃から習っていた武術の大会の事。

 柔道とか空手、じゃなくて『武術』って言い方になるのは、異種格闘技だから。

 つまりは何でもありの戦闘技って訳。

 格闘好きな母親のせいでそこに通わされていた俺は、嫌でもなかったので順調に成長して、七段の段持ちにまでなれた。

 後二〜三段上がれば師範代になれる。

 そういや、暴力親父に対抗する為に一樹に俺が教えてやったっけ。多分今じゃ一樹の自己流が混ざって俺より強いんだろうな。

 一樹は剣道も凄腕だし、体育も勉強も出切るなんて羨ましい奴だ。

「そだ、姉貴。なんか服貸して」

「……あんたが着るの?」

「いんにゃ、一樹が……」

「やーだ―!一樹が着るの? おねぃちゃんも観に行って良いかしらぁ? あ、この間買ったワンピースなんてセクシーで良いと思わない?」

「道で拾った女の人に貸すんだって」

「女? またあの子は女連れ込んだの!」

「またって、一樹モテルけど彼女いた事無いよ? 押しかけられた事は有るみたいだけど……」

「あら、そうなの? じゃ、おねぃ様が宜しく言ってたって伝えなさいね。女に貸すならこれで良いわね。はい」

「デパートの安売り品スカートと高校時代から使ってた白Yシャツね……」

「なんか文句ある?」

「いいえ、なんでも」

「泊まり?」

「多分」

「そんなに良く泊まるなら一緒に住んじゃえば良いのに」

「それ計画中」

「仲の宜しい事で」

「イッテキマース」

 と言う事で、一樹から頼まれた物は今ので最後。

 他は消毒液、バンソウコウ、包帯、綺麗なタオル、適当な食料。

 怪我でもしてるんだろうけど、それは女の人が怪我をしているのか、一樹が怪我をしているのか果して両方なのか、見当が付かなかったので少し多めに持って行く事にした。

(あ、ついでに貸す約束してたゲームも持ってっちゃおー)

 ちなみに、一樹の暮らすアパートは学校の担任が保証人になってくれていて、卒業後も保証人は続けてくれるんだそうだ。

 持っている電化製品は、中学の友達達からのカンパや寄付の賜物で、ゲームのハードに至っては、何でも屋の代金代わりに貰い受けた物なんだそうだ。

「来たよー」

 チャイムも鳴らさずに入るのは何時もの事だ。

 が、今日は勝手が違った。

「きゃあ!」

 あや、治療中。

 咄嗟に後ろを向いてドアと向かい合わせになる。その姿勢のままカバンを開けて姉貴の服を後ろ手に投げた。

「それ、差し入れ。着て下さい」

 パッと見、外人さんに見えた気がしたが、俺は英語が不得意なので、日本語でゆっくり言うと、戸惑いがちな声で『ありがとう』と、これまた日本語で返って来た。


「こいつ、俺の友達で横田智之な。んで、彼女は道で拾ったアスラさん」

「変わった名前だね」

「良く言われます」

 自己紹介なんぞをしながら、智之の持ってきた食料を胃に流し込み、三人は和んでいた。

「で? お姉さんはどう言う人なの?」

「どう言う、とは?」

 一樹の質問に、同答えればいいのか迷ったのか、アスラから逆に質問で返された。

「どんな仕事してるか、とか。どんな立場なのか、とか。どうしてあんな道端に傷だらけで転がってたのか、とか。なんでこの国で禁止されている刃物を帯刀しているのか、とかさ」

 当然の疑問だった。

 取り合えず助けては見た物の、一樹も、今合流したばかりの智之も彼女の事を何も知らない。

「仕事…立場……?」

 そう呟いて、アスラは黙ってしまった。何かの事情がある様だった。

 しかし……

「私は、一介の魔術師見習で、腰の剣は自己防衛の為です。この国で帯刀が禁じられている事は、知らなかったんです。道で転がっていたのは、魔術に失敗して、別の空間に飛ばされてしまったからで、傷も、その時に……」

 一気に捲くし立てていたアスラは、二人の反応がおかしい事に気がつき、言葉尻を小さくした。

「…あの? 私の言っている事、おかしいですか?」

「おかしいって言うか……」

「イエローピーポーカモーン! って感じか?」

 『イエローピーポー』とは精神病院の救急車の事を意味する。

「では、逆に質問です。ここは何処なんですか? この世界は一体どんな世界なんですか?」

 アスラの言葉にまたも、二人が微妙な反応を見せた。

「おい、智之。どう思う?」

「んー。記憶喪失、とか?」

「だって魔術って…」

「記憶喪失じゃなきゃ、妄想症候群」

「何だそりゃ?」

「物語の人物になりきっちゃてるヤバイ人達の事」

「ああ、なるほど」

「んじゃ、話し合わせとく?」

「そうすっか」

 アスラに背を向けて、二人でこそこそと話し合った結果、そう言う事になった。

「ここは、日本と言う国で、魔法は存在しない世界ですよ。魔法の変わりに科学と言う物が進化して、生活を便利にしてくれています」

 わざとらしいまでににこやかな智之の言葉を、アスラはまともに聞き入っていた。

 その様子は、まるで本当に別世界の住人のようだった。

「では、ここから異世界に通じる扉は無いのですか?」

「無いです。少なくとも、俺は知らない」

 今度はぶっきらぼうに一樹が答えた。何で愛想が無いかって、それが一樹の喋り方だからだ。

「そんな……」

 一樹の言葉でアスラの表情が曇る。 なんだか、この表情には嘘や妄想は無い様に、二人には見えたが、しかしそれも病気のせいなのだろうと思い直す。

「アスラさんは、どんな世界から来たんですか?」

 智之の質問に、深刻な表情で考え事にふけっていたアスラが顔を上げる。

「私の世界はオーミターションと言う名前で、魔法があって、木とかで家を作って、多分、お二人の言う『科学』と言う物は無いと思います。魔法使いや、魔物がいて、人々の大半は農業やなんかで暮らしているんです」

 アスラの話しを聞いて、二人が思った事。

(それって丸っきりRPGじゃん……)

 早くその世界に戻らなくては、と言うアスラに、今度は一樹が質問をする。

「なんでそんなに急いでるんだ? なんかマズイ事でも?」

 もはやタメ口になっているのだがそんな事を気にした様子も無く、アスラは質問に答えた。

「私の命を助けてくれた人に、役に立つと、お約束したんです! きっと、その方の願いを叶える手伝いをすると。それに今その方は、きっと危機に瀕しています! 早く、側に行ってあげなきゃ…」

 アスラの瞳は真摯そのものだった。

 今の言葉は彼女の心からの物だと、二人には伝わった。

  が、

「でもねぇ…世界がそう言う世界だって本気で信じ込んでるくらいだから、このくらいの反応、普通なのかなぁ?」

「かもな。前なんかのTVで見たけど、漫画のキャラに本気で恋愛してる女ってのがこんな感じだったぜ?」

「じゃあ、仕方ないから明日から病院探しでもする?」

「だな。患者がいなくなってる精神病院を探そう。智之、今日泊まってくか?」

「泊まります」

 と、またアスラに背を見せて、二人での話し合いの後、一樹がアスラに話し掛けた。

「取り合えず、今日はここに泊まると良い。朝になったら何か手掛かりが無いか探しに行こう。俺達も協力する」

「本当ですか?」

「この世界の事、わからないんでしょう? だったら俺達がいた方がいいでしょ?」

「はい。ありがとうございます」

 喜ぶアスラを見てから、二人は治療の為に使った包帯やら雑多な物をベットからどかし、アスラが横になれるようにした。

「そのままベット使っていいから」

「変わりに、少し明るくても我慢できるかな? 俺達もう少し起きてるから」

 と言いながら智之が手に取ってアスラに見えるように翳してやったのは、最新のTVゲームのソフト。

「? なんですか? それ」

「えーっと……」

 困った。

 科学が全くわかっていない(と思い込んでいる)人に、どうやって説明をすれば良いのか……

「一樹パス」

「あ、汚ねぇ!」

 肩をぽん、と叩いて一樹に説明を委ねた。

「あー…えっと、物語を、主人公になったつもりで読んで行く、動く絵本………ってところか?」

 こんなんでわかったかな? と一樹が不安に思っているのをよそに、アスラはゲームに対して興味を示した。

「それ、私も見ていていいですか?」

「あ? いいけど……」

「ありがとうございます!」

 この人、本当にRPGオタクの妄想症候群か? そんな疑問がまた二人の中に湧きあがってくるが、考えても仕方が無いとばかりに、ゲームをスタートさせた。

 このゲームは珍しくスタッフロールが先に表示され、オープニング画像が後から現れた。

 最初は、文字だけの序章



 白魔法と黒魔法が世界を支配する世界。
 ここに、恐ろしき狂王が現れる…
 狂王の魔力は類を見ないほどの強さで、恐怖で世界を混沌へと陥れている……



「なんか、アスラさんの話し聞いた後だから臨場感あるなぁ……」

「だね」



 狂王の狂った政治に耐え切れなくなった人々は、聖者や賢者と力を併せ、狂王に立ち向かう決意を決めたのです。
 その時、一つの伝説だった一族の名が囁かれるようになりました。
 その一族は、強い白魔法の力を代々受け継ぎ、凶悪な魔物をも封印する事の出来る、封印の一族だと……
 その名は『シール一族』



「シール?!」

「? どうしたの、アスラさん」

 驚いた表情を浮かべ、画面を食い入るように見つめているアスラに智之が声を掛けるが返答は無い。

 症候群の症状かな? と思い、智之もそれ以上聞き返さなかった。

 アスラからゲーム画面に視線を移すと、画面は遅いロードの末、ムービー画面に切り替わっている所だった。

 パッと画面が明るくなり、ムービーが始る、と同時にアスラが叫ぶ。

「これ、この世界!」

「なに? どうしたんだ?」

 今度は一樹が聞く。

 アスラは一樹の質問に答えるのではなく、自分の思った事をやや興奮気味に語りだした。

「この世界! これが私の世界よ!」

「なんだって?」

「ねぇ、これどうなってるの? 早くあの中に入らなくちゃ! はやくあの世界に帰らないといけないのよ!」

「って言ったって……」

 ヤバイの拾っちゃったなぁ……と一樹が後悔を始めた頃、異変が生じた。

「なんだ?」

 空気が変わる。

 空間が歪む。

「うわっ、気持ち悪い…!」

 地震の様な、眩暈の様な、そんな感覚が三人を襲い、段々と激しくなる。

 目の前が眩んで、絶えられなくなった時、まるでホワイトアウトに出合ったかの様に視界に何も入らなかった。

 三人は揃って意識を失ったのである…。