の命 T

「やっと着いたー。お客さん、ほら街が見えましたよ」

 砂をのせた黄土の風が視界を狭める荒野の中、旅の一団が歩いて行く。
 一団の先頭を行く男はわずかに目だけが見えるフードを被り、口元までを覆う襟の高い服を身に付けていた。そのどちらも薄茶色の防砂用の厚い生地で仕立てられ、ただでさえ高い温度を更にあげる効果を果たしている。
 一方、彼が『客』と呼ぶ者は一団の中で一人ラナクと呼ばれる背は低いが大型で四足の動物に乗り、いかにも高価そうな純白の薄い生地で出来たサラシャと言う一枚の長い布を体に巻き付ける衣服を着ている。
 やはり目だけを出したべールを金の装飾鎖で止めていた。

「カディ、僕達もあの街に寄って行こう。買い物しないといけないし」

 ね? と先頭を行く男が振り返ったのは、黒い防砂服に身を包み、静かにラナクの手綱を持つ男だった。
 他の二人と同じ様に目だけを出したフードを被っているが、わずかに覗いている肌が二人と違い少し浅黒い。
 こくりと無言で頷いて了承の意を伝える。
 この三人で旅を始めたのは四日前。隣、と言うか一番近い街からこの街に来るまでの間だけの短い旅だ。
 手綱を引く男と、先頭を行く男が白い服の人物を客と呼ぶのは街から街へ移動する際、護衛として雇われたからで、この二人は護衛を仕事としていた。
 枯れた大地が果てしなく広がるこの世界で、戦いの術を持たない者は少なくない。
 そういった者は強者に頼って世界を歩かねば直ちに枯れ地に潜む魔物に命を奪われるだろう。

「しかし、今回は蟲の襲撃も少なくて中々に良い旅だったね。ラナクもあったし」

 見えている目元だけでもいかにも楽しそうに言う先頭の男、名前をナークと言う。
 彼は旅が始まってから今まで手綱を持つ男、カディに色々と話しかけているが、カディからは答えがいっこうに返らない。
 十の言葉があったら、三に対して頷いているが、後の七は無言だ。しかしナークはそれを気にする事もなく話し続けている。

「あ、お客さん街に入ったらどうします? 知り合いに会うまでを護衛します? それとも街に入ってすぐ契約解除します?」

 独り言の様に喋っていたところで急に話を振られて驚きながら、街までで、と答える。
 ナークがこんな事を聞くのもこの客が女だからだ。街の外では蟲の脅威に晒されるが、街の中では強盗等に気を配らねばならない。体格的に不利な女性の場合、その被害に合う事も多い。

「そうですか? じゃ街の防砂蟲壁を越えたところまでお送りしますね。そしたらカディ、ちょっと買い物しながら宿を探そうか?」

 その問いにもコクンと首を縦に振るだけで声は発さない。

「あの、ちょっとお聞きしても良いですか?」

 二人の青年を不思議そうに見つめていた客が、ナークに向けておずおずと聞き出す。

「なんですか?」
「こちらの方は、どこかお悪いの?」

 言語障害なのか、と聞こうかと思ったが、蟲との戦いや砂嵐に襲われる様な生活の中で、その人それぞれに特殊な力や事情を抱えた者がこの世界には多くいる。
 その為、客は障害ではなく具合いが悪いのか? と聞く事にしたのだ。

「え? あぁ、言葉ですか? 話せないんじゃなくて話さないんですよ。こいつ」
「話さない?」

 なんでもない事のように言うナークは笑顔のままカディに向く。

「言葉も解るし喜怒哀楽もある。声に出さないだけで色々考えてるみたいですよ」

 ね? と同意を求められてカディは目しか見えないその顔に、肯定と否定の2色を同時に見せ微妙な表情に歪めた。
 確かに話さないだけで思考はあるが、ナークの言い方ではなんとなく誤解を受けそうだった……。

「話さないと言うのは……なぜ?」

 無言のカディに向かってやや躊躇しながら聞いて来る客に、カディは今度ははっきりと困った表情を見せた。
 話さない理由は素性を明かす事につながる事だった。しかし、カディは自分の身元を明かしたくない。

「お客さん、街の入り口です。通行証の用意はいいですか?」

 カディをじっと見つめていた客はナークの声ではっと前方に視線を戻した。
黄土の荒野にそれと同じく黄色い土壁で囲まれたやや大きめの街。
 砂黄と呼ばれるこの地域では、荒野を地下深くまで掘ると粘土質の土が取れ、その土を利用して家や街の外壁を作って暮らしている。
 そして土壁があると言う事は、この街の中に井戸があると言う証拠になる。いくら粘土質の土でも水と混ぜなければ使えない。井戸のない街では近くの水場まで水を汲みに行かなくてはならない為、壁まで作る余裕がない。
 そういった街の場合、自分の家を作る分だけを家人自ら水汲みに励むか、大金を払って他の街から輸入するしかない。

「良かったなカディ。水の補給ができる」

 嬉しそうに振り返るナークに、カディも目を細めて頷く。ナークの言葉に通行証を用意しつつラナクから降りる客は、故意に話を誤魔化されたと感じながらも黙っていた。
 話したくない事なのだろうと悟ったからだ。
赤、黒、青、白、黄の広陵とした砂漠広がるこの国には、その地域ごとに様々な少数部族に別れ暮らしている。
 しかし荒れ狂う風と、街を覆ってしまう砂と、水分など無いに等しい乾いた土とで、一夜にして滅びる部族も多かった。
 今三人が入ろうとしている様な大きな街は、部族が壊滅、もしくはバラバラになって住処を失った者達が集まる場所でもある。

「さて、街に入った所でお客さんとはお別れですね」

 ほんの少し名残惜しそうにそう言われ、客は楽しかったと言って護衛料を差し出した。

「はい、丁度頂きました。今回みたいに蟲に襲われなきゃ楽な仕事なんですけどねー」

 言いながら笑うと、ナークの若草色をした瞳は細まって色が見えなくなってしまう。
 防砂蟲壁の内側に入ると多少風と日差しが弱まったので蒸し暑いフードを頭の上から落とす。
 フードから覗いたナークの青い髪が、傾いた日に透けて不思議な色に染まっている。
 護衛等と言う仕事をしている割に幼く、端正な顔立ちをしているナークの笑顔につられて微笑む客は、まだベールを被ったままだった。防砂と言うより日避けとしての布なのだろう。
 今まで自分を乗せてくれていたラナクにありがとう、と声をかけながら首のあたりを撫でてその横にいるカディに視線を向ける。
 手綱を持ったままラナクの横腹あたりを撫でてやっているカディも砂避けのフードを取っていた。
 日に焼けたのではない生来の浅黒い肌と、長めで、漆黒に程近い赤い髪と、そこから覗く鋭い紅玉石の眼差しが近付き憎い雰囲気を作り出している。付き合ってみればその表情の豊かさでそう怖くない人物なのだと分かるのだが。
 四日間の旅で最後まで声を聞けなかったが、その精悍な顔立ちからあまり高い声は想像ができなかかった。
 返事が無いのはわかっていたが、客はカディに向けてもありがとうと声をかける。その声にカディは視線を客に向けてにっこりと微笑んだ。
 言葉がない代わりにカディの表情は豊かだ。この時も微笑みだけで『道中お気を付けて』と言う言葉が聞こえて来そうな気がした。
 砂と蟲から街を守る為に作られた防砂蟲壁は街の外壁の一回り外に作られ、 そこに門番が置かれて通行証の提示が要求される。
 三人とも通行証を用意して門番に提示しようとした、その時

 キャシャァァァアア!

「蟲?!」

 防砂蟲壁と街の外壁の間、まさに三人と門番が立っているそこに人の身長を有に越える程の蟲が砂埃を巻きあげて現れたのだ。

「酸蟲だ。カディ、お客さんと門番さん頼むね」

 動きずらい防砂用の外套を脱ぎ捨ててナークが身構える。
 カディは素早く客を背後にかばうと門番の横まで後退した。とっさに剣を構える門番の腕を押さえ付け、厳しい表情で首を横に降る。

「なんだお前は! なに? 蟲を殺すなとでも言うのか?」

 剣を押さえられた門番はうろたえながらもカディを怒鳴りつける。
 それでも静かに首を横に降るカディを見て、わずかに落ち着きを取り戻した門番はカディの行動の意図を探り始めた。

「なんだ? 剣を使うなと言いたいのか?」

 剣をトントン、と軽く叩いて首を降るカディの意図を汲んだ門番に、今度は『正解』とでも言うようにカディが微笑んだ。

「しかし、剣無しでどうやって戦うんだ?」

 問い掛ける門番にカディは笑顔のままナークを振り返る。つられてそちらを見る門番と客の視界に入ったのは、己の身長の倍はあろうかと言う蟲に正面から対峙するナークの細い背中だった。
 袖の無い丸襟の上着は膝ほどまで長く、途中腰の所に皮紐が何本か巻かれ絞られている。
 皮紐から下の脇に大きな切目が入っているので動くのには邪魔にならないようだ。
 身構えるナークを蟲の瞳が捉える。ナークに向けて体制を変える蟲は蛇の様に長い体を持ちその体全体に無数の小さな足がうごめく。
顔とおぼしき場所は全体が巨大な口で、そのまわりを不気味なまでに肉色をした触手が獲物の居る場所を探っている。

「酸蟲相手じゃ『闇蟲』にご登場願うしかないかな……」

 蟲の触手がナークを捕える。と同時に蟲がその巨体全てを使ってナークに襲い掛った。

「我願う」

 呟きながらナークはトンっと軽く後ろに飛んで蟲の攻撃をかわす。

「血と水との契約により我に従う蟲達よ」

 再び襲い来る攻撃を更に飛んでかわし、腰に巻かれた皮紐に付いている小瓶に手を伸ばす。

「契約に従い眼前に迫る敵を闇に葬れ!」

 取り出した小瓶に着いていた蓋を片手で開ける。
 僅かな水と共に小さな黒い影がさき砂黄の地に舞う。

「行け! 闇蟲!」

 ナークの声と共に小さな影が空気の擦れる様な奇声と共に巨大化した。
突然現れた第二の蟲に驚く客と門番をカディが押さえ声を制止させる。
 口の前に指を立てて軽く当てる。静かに、と言いたいらしい。とりあえずはカディの指示に従っているが客も門番も目の前に居る二体の蟲に恐怖は隠せない。動揺する二人に蟲から一旦視線を外したナークが話しかける。

「最初に現れたのは酸蟲。血をはじめ体内の全ての液体が酸で出来ているから剣では戦えない。今出てきた闇蟲は僕の下僕です。安心して下さい」

 口早に説明すると再びナークは視線を蟲達に向ける。
目の前に出現したやみむし闇蟲に、さんむし酸蟲の触手が動き、まるで睨み合っているかのように正面からお互いに向き合う。
 闇蟲は地面より影が生えたかのような容貌で、上部に光る赤黒い光が唯一目だとわかる。
 酸蟲の巨体がぐわりと首をもたげると、闇蟲の目から赤い光が放たれた。
 光から逃れる様に酸蟲が動くがかわしきれず光を浴びる。

「地中うごめく酸の蟲。闇の中生く者よ。その生を闇へと還せ!」

 ナークのつむぐ呪文の様な言葉と共に闇蟲の放つ光がその量を増す。
 光を浴びた酸蟲は金縛りにあった様に微動だに動けず、ただ不気味なうめき声だけをあげている。
 酸蟲の体を照らす赤い光が徐々にその色を暗い物へと変えて行く。そして光が完全に黒くなった時、酸蟲が断末魔の悲鳴をあげる。

「……っ!」

 大地に響き空気を震わすその声に、客と門番はおもわず耳を塞いだ。
 突風が起こり耳を塞いだままの状態で目を閉じ顔を伏せる。
 しかし、カディとナークは動かない。微動だにせず蟲達の方をみつめている。
 悲鳴と風が止んだのを感じて、客と門番がそろそろと目をあけるとそこには小瓶の中に戻って行く闇蟲と、カディから脱いだ外套をうけとるナークの姿があった。

「お騒がせしました」

 にっこりと微笑みかけて来るナークに、客も門番も一瞬呆けた顔を向けたが、すぐに感心した様な表情に変わる。

「いやぁ、あんた。見掛けによらず凄いんだなぁ。蟲司だろ?」
「はい。まだ未熟者ですけど」

 さっきまでの戦いなどなんでもなかった事の様にナークは門番に通行証を見せる。
 他の二人もそれに習って通行証を提示すると、門番は簡単にそれらを眺めただけで通行の許可をくれた。

「蟲から守ってくれたんだ。あんた方は悪い奴じゃねぇや」

 門前に立ち続けている為に真っ黒く日焼けした顔をくしゃりと歪めて門番は笑う。
 軽く礼を行って通り過ぎようとした時、横合いから門番に声をかけられた。

「もしこの街でも仕事を探すんなら大通り沿いの酒場に行くと良い。旅の者は大抵そこに集まるから」

 その言葉に、ナークは二度目の礼を門番に伝えて街に入った。