砂の命 | U |
「そちらから出向くとはな」 赤の軍勢から不敵な声が発せられる。 バスクに騎乗し、一行を待ち受けていたバシレウスはリルに向けて嫌味ともつかない言葉を言い放った。 「逃げてても終らないと思ったのよ」 歪んだ笑みを向けられたのは、白金の髪の少女。沈む夕日に照らされて、朱金になったその髪は腰下までの長さを持って、風に揺れている。 「あなたはなんの為に不死を得たいの?」 睨むような視線で真っ向から見据えるリルに、恐怖は見えなかった。 一人の時なら、震えていたかも知れない。恐怖に脅えていたかもしれない。でも今は後ろに皆が居てくれる。それだけで、とても心強かった。 思いきって敵陣に切り込もうと言い出したのはナークだった。 「僕達は砂赤に用が出来ちゃったし、リルだって逃げているだけじゃなにも変わらないと思うんだ」 そう提案したナークに賛同してここまで来たのだ。 (またナークの言葉に丸め込まれた気がしないでもないけど……) 最初はもちろん躊躇した。しかし話しているうちにあれこれともっともらしい意見を出されて最後には『カディがきっと守ってくれるよ!』っと言われ、微笑むカディに頷かれてしまっては賛同するしかなかった。 「何故不死になりたいか、だと? この地にまつわる伝承を知らんのか?」 嘲る様に言われてむっとするが、感情を押さえて冷静に対処する。 「緑の砂」 一言、短く返すリルに笑みを向けてバシレウスは語り出す。 「それがわかるなら、不死への執着もわかるだろう? 水を手に入れ不死を手に入れ、そうして俺は神になる」 そう言って顔を歪めるバシレウスにリルは嫌悪を覚えた。 (こんな奴に、食われてやるもんですか) 自分でも戦う。だけどいざとなったらきっと助けてくれる。 そう信じている傍らにいる人へ視線を向けると、その気配を感じたのかこちらを振り返り安心させるように微笑む。 釣られて笑ってから前方にいる赤の軍に視線を戻すと、バシレウスの傍らにカディと同じく肌も髪も黒い青年が立っていた。 「カディ」 小さく呼んで青年の存在を伝えると、カディも気付いていたのか頷く事で返事を返した。 「生きてたのか、カディ」 相対しているにも関わらず、どこかほっとした感じが含まれる声で青年ーラルドがカディに言う。 「でも、なんで外にいるんだ? 一族はどうした? 長は?」 隔離塔にいた筈の死の巫が、外に出されるわけがなかった。 出す理由もなかったし、長がそれをを許す筈がない。 一抹の不安を感じつつ重ねて聞いた質問に、カディは懐から出した物を投げ渡す事で答えに変えた。 「これは黒曜石……セラのか? なんでお前が持って……まさか」 暫し考えた後、ラルドは首飾りを握り締めてカディへ視線を向ける。 その視線を受けてカディは目を瞑って首を縦に振る。 「そんな……いったい何故?」 「病が原因で全滅したんだ」 ラルドの問いに答えたのはカディでも、ナークでもなくバシレウスだった。 「……なんで、あんたが知ってんだ?」 「お前の一族が全滅したのは、私の指示だからだ」 さらりと言われた言葉に、ラルドは己の耳を疑った。 「指示って……なんで……?」 「砂黒の自然を操る力は色々と脅威だからな。敵になる前に潰したまでだ」 何でもない事の様に言うバシレウスに、ラルドはただ信じられない物を見る目を向けるしかなかった。 呆然とした様子のラルドに、バシレウスは微笑を浮かべたまま言い連ねた。 「お前を取り次いでくれた女。あれに病原菌をつけて病にさせておいたんだ」 「! き…さまぁ!」 ぶわっとラルドの周りに風が吹き荒れた。 途端、風が止みラルドの動きが固まった。 「……あ?」 そろそろと視線を己の体へと向けるラルドが見た物は、背後から突き刺さっている刀の様な蟲の足。 「女……てめぇ……」 いつの間にか背後に移動していた琥珀色の髪を持つ女が、剣蟲を召喚していたのだ。 肩と胸の間辺りを貫かれ、傷は少し肺を掠ったようだ。痛みに耐えつつ繰り返される吐息にはひゅーひゅーと言う喘鳴が混じり、咳き込むと同時に吐血する。 先程自らが砂の中から掘り起こした銀の大皿に、ラルドの血が流れ、溜まってゆく。 先程と同様に大皿がぼうっと光る。 「これで黒の砂も受け入れられた」 あと三つ、とカディ達の事を見やるバシレウスに、ラルドの声が弱々しく届く。 「バシレウス……てめぇ最初から……」 殺すつもりだったのか。 言外にそんな含みを持たせた言葉を、バシレウスは笑って一蹴する。 「お前の力、俺の為に役立てるのだろう?」 「く…そ……」 がくん、と膝が折れてその場に倒れ伏す。 思わず駆け寄ろうとしたカディをリルが止めた。 「敵の真ん中に突っ込む気?」 駆け寄れば、多分ラルドに近付く前に殺される。いつの間にかカディ達は赤の軍勢に周りを囲まれていた。 「……すまん、カディ」 普通の人間では致命傷に至らないかもしれない傷でも、森羅一族には十分過ぎる傷だった。血は止まらず、意識は薄れ、目ももう霞んでいて殆ど見えていない。 それでもラルドは倒れた拍子に落としてしまった黒曜石を手探りで探し、握り締めた。 「セラ……」 呟きを掻き消すかのように風が舞う。崩れて砂となったラルドの体は、その風に乗って宙に霧散した。 「ミラ、君は知っていてバシレウスに付いたんだね?」 ラルドを葬った剣蟲を自分の元に呼び寄せる、瑚珀の髪をした女ーミラにナークが固い口調で問う。 「お久しぶりです、王子。追って来て下さったのですね」 ラルドを攻撃した時には微動だに動かなかったミラの表情が、ふわりと和らぐ。 本心から久しぶりの再会を嬉しがっているその表情に、ナークは困惑する。 「僕は、君を殺しに来たんだよ?」 「はい。判っております」 ミラの笑顔は崩れない。 二人の間に僅かな沈黙が降りる。微笑むミラと対峙していると、まるで残劇が起きる前の様で、なぜ彼女を殺そうとしているのかわからなくなる。 そんな思いを頭を振る事で断ち切り、深い息を付きつつナークはミラに向き合った。 「君には、聞きたい事があったんだ」 「なぜ、一族を滅ぼしたか。ですか?」 ナークの前から姿を消した時より、再び出会ったらそれを聞かれるだろうと予測していた。己の問いにナークが答える前にミラは語り出す。 「外の世界が見たかったんです。私も、貴方と同じに」 言魂の力は王族にのみ受け継がれる。そして、その中でも封印の力を宿すのは女のみ。 生命を産み出す事の出来る女が、血に刻まれた本性を封印する事ができた。 「祭りの日になるまで、王族の女は外に出る事が叶いません。誰が歌姫になるかわからないから」 直系の王族でなければ、男は外に出る機会もある。しかし、歌姫になる可能性のある女と、直系の王族であるナークには外の世界を見る事は一生無い筈だった。 「外が見たい。外に出たい。世界が見たい。それが理由です」 悲し気に笑って言うミラを、ナークは良く知っていた。それは、自分の気持ちでもあったから。 「でも、一族を滅ぼす理由にはならないよ」 外に出たかったのなら、歌姫の役目を終えた後、頂ける事になっていた報償として願い出れば良かった事だ。 蟲の本性を呼び起こし、一族を壊滅させる理由にはならない。 「だって、それじゃあ貴方が外に出れないでしょう?」 その言葉に、ナークは氷ついた。 「まさか……」 「貴方の為です。王子」 その告白はナークにとってかなりの衝撃を与えた。 自分のせいで一族が滅んだのだと。 皆が予測もしなかった死を向かえなければならなかったのは、己の望みのせいだと言うのだ。 「それから、私が姿を消したのは貴方を砂青から出す為。私を追うと言う理由がなければ、貴方は一族を葬って砂青に埋もれていたでしょう?」 ミラの言葉がナークに突き刺さる。幼い頃から共に育ったせいなのか、彼女の言葉は隠しておきたかった胸の奥の感情をえぐりだす。 『自由だ』 一族が滅び、隠し通路から外に出た時、ナークは確かにそう思ったのだ。 「僕は……」 一族の崩壊を望んだわけじゃない。 そう言いたいのに言葉が出てこない。 「蟲司が滅んだのは、私達二人の罪。王子、共に行きましょう」 優美な動作で、ミラがナークを大皿の元に誘う。それに誘われて、ふらふらとした足取りでナークはそちらの方に歩んで行く。 「さぁ、罪を贖いましょう」 ナークの手を取って微笑むミラの後ろには剣蟲。 剣蟲の鋭い前足が二人を狙う。 「勝手な事言わないで!」 緊迫を破ったのは、ティコの怒鳴り声だった。ミラの注意がそちらに逸れる。 「二人の罪だなんていい加減な事言わないでよ! 一族を滅ぼしたのは貴女の罪でしょう? ナークは関係ない!」 戦闘に巻き込まれないように下がらせていたティコが、止めるカディの制止を振りきって叫ぶ。 「確に貴女のした事でナークは外に出れたのかもしれない。だけど、それは罪じゃない!」 きっかけにはなった。だけど、それに乗ったからと言って罪だとは言えない。 そう叫ぶティコにミラは嘲りの笑いを浮かべる。 「きっかけに乗るか乗らないかはその者の意思。乗ったからには罪。そうでしょう?」 ナークの目を覗き込むように囁くミラの肩に、とても小さな蟲が乗っているのが見えた。 「カディ! ナークの様子おかしいよ! 普通じゃない」 訴えるティコに頷いて、カディは小さく身構える。 ミラの肩に乗る蟲はまぼろしむし幻蟲。幻術や催眠を使って相手を惑わす蟲だ。今、ナークが蟲の幻術にはまっている可能性は高い。 幻蟲を燃やそうとカディは炎を生み出すが、抱き締めるようにナークを抱えたミラの肩だけを狙うとなるとかなり難しい。 「剣蟲! 貫きなさい!」 躊躇する間にミラの声が攻撃を促す。 命令に従ってミラごとナークを貫こうと剣蟲の前足が上がった。 「ナーク!」 「突き刺せ、はりむし針蟲」 叫ぶティコの声に被るように呟かれた声。 その声と共に剣蟲の動きも止まる。 「王子……? なぜ……」 震える声でやっと言葉をつむぐミラの首筋から、つぅっと赤い筋が流れた。 「ごめん、ミラ」 全身の力が抜け、ミラの体がどさりと地に落ちる。 倒れて流れた瑚珀の髪の隙間から、小さな刺し傷が見える。そして、倒れるミラの前に佇むナークの手には本当に小さな蟲。 針蟲と言う毒虫だ。四本足の一本が鋭い針になり、そこから人体に劇毒を注入する、暗殺用に良く使われていた珍しい蟲だ。 「最後の王族として、君を処刑する。僕の目的はそれだったから……だから一緒には行けない。僕は死んで償うんじゃなく、生きて償うよ。蟲が荒れる地域になってしまった砂青を、蟲になって王族を追い求めている一族の者達を、鎮圧しなきゃいけない」 僅かに息のあるミラに、膝を折って話しかける。ミラは、死に向かっていると言うのになにか憑き物が落ちたような表情をしていた。 「それで、良いんです王子……。私が、貴方のきっかけになれたのなら、それで……」 そうしてミラは眠る様に目を閉じた。 とても満足げな顔をして、覚めない眠りに堕ちて行った。 それと同時に、ミラの血を受けた大皿が淡く光る。 「青の砂も、受け入れられたようだな」 事の成り行きを、さも可笑しそうに眺めていたバシレウスの言葉で、カディ達一行の視線がそちらに向く。 「最初に、俺の血を。次にラルド、ミラ。後は、お前等の血だ」 必要なのは五つの砂。五つの血。 残りは砂白と砂黄の血。砂白はリルの、そして砂黄はティコの血が必要だった。 軽く振り上げられるバシレウスの手が、開戦の合図となった。赤の軍が一斉に四人へ襲い掛かる。 「ち、ちょっと待って! 何であたしの血が必要なの?!」 戦闘体制に入る三人に囲まれる様になったティコが場の雰囲気にそぐわない、がもっともな疑問を叫ぶ。 大皿に与えるべき血は王族の物。ティコは確かに砂黄の人間だが、王族ではない。 むしろ、砂黄には王族がいない。 「『民こそが王』砂黄のこの考えがお前の命を縮めるんだ。砂黄で生まれ育った者ならば、王として認められる」 バスクに騎乗したまま、戦いの渦から離れた場所に待機するバシレウスの言葉に、思わず納得してしまった。 砂黄の生まれかどうかはティコの外見を見れば直ぐに解る。日に焼けた肌と赤い癖の強い髪。 「カディ! 手加減は出来たらで良いからね! リルはあんまり積極的に前に出ないでね!」 ナークの指示に二人は無言で頷く。 「我が呼び声に答えてい出でよ、剣蟲!」 ナークが単略の言魂で呼び出した剣蟲はいつもと様子が違った。 いつもは六本足で駆けるのに対して、今は二本足で立ち、剣を構える様に前足を上げている。そして、その肢体には何か紋様が刻まれている。 「女共を渡せば、手荒な真似はしない」 軍の隊長格であろう男が、ナークとカディに向かって言う。 「ここで、はいそうですかって引き渡す様なら最初から構えてないよ」 笑ってそう切り返したナークに、隊長も笑みを浮かべて「そうだな」と応じた。 「手加減は無用だ! 殺しても構わん!」 戦闘指揮を取る隊長の言葉で、赤の軍勢が一斉に抜刀し、飛び掛る。 「応じろ、剣蟲!」 言うと同時に剣蟲の前足と兵士の刀が交じり合う硬い音が響いた。 三本の刃を一度に受け止めた剣蟲は、前足を上に弾き刀を返す。 弾かれた刃につられて一瞬無防備になった兵士の腹部に剣蟲の中脚が食い込み、殴り倒してゆく。 一連の動作をする度に剣蟲の体に浮かんだ紋様が淡く光り、その光りはナークの手にいつの間にか描かれた紋様からも発せられていた。 「血文字で蟲を操り、手加減をさせているわけか……」 戦いの渦から離れ、各々の動きを観察しているバシレウスが呟き、そして近くに控える兵士に何事かを伝え渦の中に投じる。 「血文字なら、血で消せば良い」 バシレウスに突き飛ばされる様に戦渦に飛び込んだ兵士は新たな敵と刃を交える剣蟲の脇をすり抜け、ナーク本人に飛びかかった。 「!」 がきん、と鈍い金属音が聞こえて兵士の刃を止める。ナークが咄嗟に抜き放った短剣で奇襲の一撃は止められたのだ。 しかし、兵士はそれを予測していた様に次の行動に出た。 「! 何を……!」 突然素手で刃を握り、掌から血があふれ出す。驚き短剣を引くナークの腕を掴み捻りながら大きく振り落とす。 「うわっ…!」 振り落とされた反動で体制が崩れ、ナークの体が宙に舞う。仕掛けられた体術の素早さに対応し切れず、見事に投げられてしまったのだ。 倒れるナークの掌を、握る様にして兵士は己の血を以って紋様を消した。 「やめろ! それを消したら……!」 静止の声を上げたが遅かった。消されてしまった紋様から解き放たれ、剣蟲はその本来の力を取り戻す。 「剣蟲! 待て!!」 ナークが慌てて制止をかけるまでの僅かな時間に、剣蟲は四人の兵士を切って捨てた。 「どうする蟲司? 剣蟲を出しておけば無駄に死人が増えるぞ?」 「くそっ……」 出来れば、この戦いで無駄に死者を増やしたくなかった。制御の紋様を見つけた時点で、バシレウスにその思考を悟られ逆手に取られた。ナークは舌打ちをして蟲を引き戻すしかなかった。 「脆いな」 くくっと喉の奥で笑うバシレウスを睨むナークに、兵士達は一斉に襲い掛かる。蟲を出せない蟲司など、恐れるに足らんと判断したのだろう。 四方を取り囲まれたナークは視線だけを動かして兵士達の位置を確認する。 じりじりと近寄って来た兵士の一人が手の届く所に来たところで、その兵士を台にして囲いを飛び越え、円の中心にふるふると震えている小さな蟲を放り込む。 「起きろ、寝蟲!」 ナークが言うと、空中で寝蟲の体がぽんっ! と弾けて黄色い煙が兵士達を襲った。 「!? まずい、吸うな!」 兵士の一人が気が付き叫ぶが遅かった。煙を吸い込んだ兵士達は次々と地に倒れて行く。 「毒霧か?!」 吸い込まなかった兵士達も警戒を強め、一定の距離を保ち始める。 「毒とか人聞きの悪い事言わないでくれるかなぁ。単に眠り粉だよ。手加減の仕方は他にも色々あるんでね」 腰の皮紐から小瓶を数個取り出しながらナークは言う。身構える兵士達の前で次々と蟲達が召喚されて行った。 「影を捕まえ足を止めろ影虫、その光で眼を眩ませろ灯蟲。甲蟲は敵を薙ぎ倒し、糸蟲は絡め取って動きを奪え!」 五つの小瓶から蟲達が勢い良く飛び出すその後ろでは、カディが炎を駆使して兵士達をなぎ払っていた。 「ちょっとカディ! 出しなさいよ!」 ナークとカディの間から、やや癇癪気味なリルの怒鳴り声が聞こえて来る。 リルとティコは戦いが始まって早々に、カディの作った炎の壁の中に閉じ込められていて、兵士達も二人に手出し出来ないが、二人も外の戦いに手を貸す事が出来なかった。 「カディ!」 怒るリルの声に、苦笑を返してカディは掌に焔を産んで爆発を起こす。 狙われている二人を隔離するのは、実は自分の攻撃からも守る為だったりするのだった。 「……流石に、蟲司と森羅の者を相手にするのは分が悪いか」 二人の力の前にばたばたと倒れて行く配下の兵士を見ながら、バシレウスは一案を孝じた。 「やめろ!」 戦乱の場に、唐突な制止の声がかかる。 バシレウスの声に驚きながらも兵士は口々に制止の言葉を言い合って動きを止めて行く。 「たった二人で二小隊相手に優勢に立つとはな。こちらの分が悪すぎる」 溜め息をつきながら軽く手をあげると、散らばっていた兵士達は身動きを封じられている者以外は戦闘開始前の隊列に戻って行く。 どこか残念そうにするバシレウスにナークもカディも警戒を緩めること無く向き直る。 「この世界は、水に飢えている。井戸を掘るのには莫大な費用と時間と人が必要だが、それらはなかなか集まらない」 突然の話しに最初は訝しんだ二人だが、話の内容には耳を向けた。 バシレウスが語るのは、紛れもない事実だからだ。 「唯一、自由で豊富に使えていた砂白の湖が枯れ、世界は更に飢えている」 砂白の言葉に炎の壁の向こうで、リルが体を固くしたのを感じる。確にリルの事件以来、水の流通はなくなり井戸の使用条件が更に厳しくなった。 「緑の砂。この伝承が正しいのであれば、それにすがって見ようと思ったのが、今回の事件の発端だ」 「それで君は何をするつもりなんだい?」 口調だけが優しいナークの言葉にバシレウスは一つの提案した。 「不死は諦めよう。女二人の血も指先を切る程度で良い。伝承を最後までやり遂げさせてくれないか?」 「……勝手な事を」 提案を受けて、ナークは苦々しく呟きバシレウスを睨む。 ここでその提案を受け入れてしまったら、ミラとラルドの死はいったいなんの為だったのか。 彼等二人の死を曖昧にする様な事は受けられるはずもなかった。 「だったら最初から強行手段に出る必要はなかっただろう! カディの一族だって滅ぼす必要は無かったんだ!」 珍しく怒りを露にしたナークの言葉にバシレウスの表情が変わる。とても複雑な物に。 「砂赤の王族も、もう俺だけになった。それがどう言う事か分かるか?」 唐突なバシレウスの問いかけに、ナークは虚を突かれて動きを止めてしまった。 「世界が滅びに向かっていると言う事だ。黄の王が居なくなり、白と青は一族内の諍いで滅び、赤と黒は王族が生まれなくなった。偶然にも王族が一人づつ残る結果になり、世界はこの緑の砂を求めているのだと確信した」 語るバシレウスの肩越しに、緋から紺へと変わる空が見える。いつの間にか夕暮れから夜の闇へと時を移し月がその姿を現していた。 「水が溢れれば奪い合いが始まる。だから水を管理する者が必要だ。しかし、滅び行く末路にあり、外に出る事無い森羅には任せられない。それに奴等の見えない力は脅威だ。他の砂に住む者達が付いて行けない。青と白は滅んでしまった。黄には元より王が居ない。そうなったら誰が統率する? 俺か、お前らかどちらかだ。お前達に王族として世界を仕切るつもりはあるのか?」 バシレウスが問いかけたのはナークとリルだ。カディは巫であって王族ではないし、ティコに至っては王族に掠りもしない。 問われて、ナーク達は顔を見合わせてしまった。世界の事、水の事。そんな事は考えた事もなかった。 王族として他の一族までを統率しようなんて思いもよならかった。 「統率には時間がかかるだろうから、俺は不死を願った。しかし、不死を得ても水が現れなければ意味が無い。伝承を試させて欲しい」 重ねて言われて、ナーク達は戸惑った。 危害を加えないのならば、そう約束するならば応じても良いのではないか? そんな風に思い始めてしまったのだ。 「カディ、ナーク」 考え込む二人の後ろから、リルの声がした。炎の壁越しに二人を呼び、壁を消すように求める。 「だけど……」 躊躇するナークにリルは強い意志の宿った瞳を向けて言う。 「ここで逃げても変わらないし、きっと、バシレウスを殺さない限り追って来られるでしょう? しかもその時は今回の様に譲歩はしてくれないわ。だったら、今応じる。カディ、出して」 きっぱりと言い放つリルの意思は、もう曲げられそうに無い。カディは頷いて炎を消し去った。 「ここに、血を垂らせばいいの?」 戸惑うティコに頷いて、リルは自分の隠し武器を手渡す。これなら毒を塗られる心配もないし、いざとなったらティコだけは守る事が出来る。 (嫌な月……) 高い位置に上り始めた白銀の月は、一族が滅んだ時を思い出す。 輝く月は僅かに欠けていて、満月ではなかったが、それでも月は満月の時の様に光り輝きリル達の事を照らし出す。 指先を少し傷つけて、ぱたぱたっと鮮血が大皿に落ちると、それは今までよりも一段明るく光った。 その光はまるでいつの間にか昇った月のように淡い光を放ち、青白く輝く大皿は闇の中にも目立っていた。 「あと、一人」 緊張しているのか、興奮を抑えているのか。微妙に硬い声で言うバシレウスに促されてリルが一歩前に進み出た、その時。 「リル危ない!」 叫ぶティコの声に反応して身を引けば、視界の端に白刃が見える。間一髪のところでで避けた筈のその白刃は避けられるのを読んでいたかのようにリルを追って来た。 (避けられない!) 「リル!!」 ティコの叫びが響き、赤い血が宙に飛び散る。リルの胸の直ぐ上を貫いた白刃を引き抜くと、バシレウスは再びそれを心臓へとめがけて動かした。 「!?」 ごうっと言う空気の音と熱気が一瞬のうちにバシレウスの白刃を溶かして消した。カディの放った炎が寸での所で届いたのだ。 「バシレウス! やはりリルを殺すつもりだったんだな?!」 怒鳴るナークに向かって嘲笑を浮かべながらバシレウスは新たな刃を構えた。 「不死の力は俺の物だ!」 狂気とも取れる口調で叫びつつ、バシレウスは倒れこむリルの元に走り込む。 「だめぇ!」 「ティコ! 退け!」 咄嗟にリルの前に立ちはだかるティコに、ナークの叫びが届く。再び刃を溶かそうとカディの焔が燃えた時 「何だ?」 辺りが急に暗くなった。 「月が、消える……」 月明かりでかなりの明るさがあったこの場から、その光源が姿を消そうとしていた。 「月食、と言う奴か」 「月食?」 バシレウスの言葉に思わずナークが聞き返す。お互いに緊張を保ちながらも一旦の動きは止め離す。 「我等の信仰する太陽の神の力により、月の神は光を得ている。が、今は何かに遮られ太陽の光が月に届かん。つまりは、月の神の力が衰えていると言う事だ」 リルの不死は月の神の力によるもの。 月の神の力が衰えていると言う事は、つまり…… 「血が、止まらない……」 「リル!」 がくん、と膝を突くリルをティコが支える。掴んだリルの体は心なしか冷たく、それに反して手に付く赤い嫌なぬるつきは酷く暖かかった。 「リル! やだ、しっかりして!」 「ティコ……だめ、血が付く……」 「そんな事いいから! ナーク! カディ! リルの血が止まらないよ!」 泣き叫ぶティコの声に、ナークとカディはリルの元に走り寄った。 支えるティコの腕に、異常なまでの血が流れて来る。明らかにさっきの刀傷だけが原因ではなかった。 「カディ、少し手荒だけど炎でリルの傷を焼いて塞ぐんだ。止血にはなる」 こんな時に思う。 癒しの力を持つ蟲を使役していたら。 自分が死の巫ではなく、生の巫だったら。 「何が特別な力だ……」 苦々しく呟くナークの言葉は、ティコにしか聞こえない。 特別な力、特別な一族ともてはやされても、人一人助けられない。 「マスクナが死ぬだと? そんな馬鹿な!」 月食で月の力が消えてしまったら、リルは負った怪我に耐え切れず死を迎える。それは、バシレウスの不死への願いも費えた事になる。 「おい! 死ぬな! 貴様が死んだら俺が不死になれん!」 「バシレウス! やめろ!」 リルの元に走り掴み掛かる。傷だけを焼くには微妙な動きが命取りになる。 バシレウスがリルの肩を掴み揺さぶると、傷口から新たな血が溢れ出す。 「やめろ! 本当に死んでしまう!」 バシレウスを止めようとナークが動くその前に、カディの炎がバシレウスを襲った。 「!?」 眼前に迫った炎に驚きリルから手を放し飛び退くバシレウスを、カディの放った小さな炎の玉が追いかける。 「くそ、こんな子供だまし!」 目の前にあったから巨大な炎に見えたが、それは手で打ち消せば消えてしまうような小さな炎だった。 怒りに震えながらバシレウスが再びリルに近づこうと歩を進めたその時、突如として地震が起こった。 「なに!」 縦に突き動くような地震に、バスクは嘶いて走り去り、赤の軍勢も我先にと転がるように走り出した。 「ナーク!」 「捕まってティコ!」 立っていられない程の揺れに、ティコとナークは互いの手をしっかりと握った。 カディは、地震にも反応できないほど弱っているリルを抱きしめ、その場に伏せる様にして耐えた。 「なんだ、この揺れは!」 一人、立ち続けるバシレウスは激しい揺れに翻弄されながらも、首を巡らせ周囲を見る。 「これは……!」 目にしたのは、まるで満月の様に光り輝く五つの血を受けた大皿。 その光はまっすぐに空へと昇り、消えてしまった天上の月との架け橋になっている。 「水が、溢れるのか……?」 水を湛えたように煌めく大皿の光に、吸い込まれるようにふらふらとバシレウスが近付いた。 地に膝を着き、大皿の光に恐る恐るバシレウスが触れると、ばん! と言う音と共に大皿が真っ二つに割れ、そこから大地に亀裂が入り始めた。 「うぁあああ!」 バシレウスの絶叫が地の割れる轟音に掻き消される。 神を願った男の、あっけない幕切れだった。 膝を付いた体制から立ち上がるまでの間に、亀裂に飲まれたのだ。それを見たカディが咄嗟に動こうとするが、助けるのを拒むかのような激しい揺れに、リルを抱えるので精一杯だった。 「カディ……逃げて」 腕の中で、リルが小さく囁く。 次々と亀裂が生じる中、留まっていては危険だ。それに大皿から溢れ出した水がどこまで吹き出るのかわからない。このままここに居ては、水の底に沈んでしまうかも知れないのだ。 「私、もう……だめ、みたいだから、置いて逃げて……」 ほとんど閉じかけた瞳は、ぼやけてカディの顔が見えない。虚ろな視線でカディを見上げるリルに、カディは首を横に振って抱きしめる腕に力を込めた。 「カディ……」 自分を放さないと悟ったリルは、最後の力で腕を上げ、カディの顔を触り、長い前髪を上げさせる。 「やっぱり……カディは、前髪ない方が、格好良いよ」 笑って、そう言った直後に、リルの手がカディの額から離れ、地に落ちる。 瞳は完全に閉じられて、流れてきた水が体を濡らしてもぴくりとも反応しなかった。 動かないリルを、カディは信じられない思いと、絶望感を同時に抱いて強く、強く掻き抱いた。 「リル! ナーク、リルが!」 「駄目だティコ! 近付いたら君まで巻き込まれる!」 亀裂の生じない場所まで避難していたナークとティコは、動かなくなったリルを見た。 それが、死を意味するのだと言う事は明らかだった。 しかし、リルを抱えたまま、カディは動かない。 「いやぁー! リル! カディ!」 うねる水は亀裂で脆くなった大地を削り、崩しながらそこに大きな窪地を造ってゆく。その奔流がカディを飲み込む寸前に、ティコとナークははっきりとカディの声を聞いた。 「リル、死ぬな」 |
10 章 |