の命 V

「と言う訳で、これから僕達は君に同行させて貰うよ」
 にっこにっこと笑いながら宣言するナークに、カディは困ったように額に手を当て、宣言された少女は呆れかえって口を開けたままの間抜けな表情で固まっていた。
「さ、そうと決まれば旅支度だねー。この街でもうちょっとゆっくりしても良いんだけど砂嵐が起こりそうだから、次の街に急いだ方が良いしねぇ」
 言いながらパタパタと旅支度を始めている
ナークを、やっとの事で自我を取り戻した少女が捕まえる。
「ちょっと! 勝手に決めないで。私はまだ許可してないわよ」
 焦ったような少女の言葉に続いて、カディがナークに向かって数回の身振りを行った。
 自分を指差してから少女を指差し、二人の間で手を動かす。それから軽く指を口に当てて、体の前で掌を見せて左から右に腕を動かす。
「あれ? そうだっけ?」
 きょとん、とした表情で聞き帰してくるナークに、カディはうんうんと頷いて答える。
「……彼は何て言ったの?」
「ん? 僕達が君に同行する理由をまだ話してないって」
「あ、そうよ。それも聞いてないわ。話さないけど彼の方が常識があるわね」
「あ、酷いなぁ。人を人外生物だなんて」
「言ってないわよ……」
 溜息と共に突っ込みを入れて、少女は少々の頭痛を覚えた。
 何だって自分はこんな阿呆な会話をしているのだろう? ついさっき羽蟲に襲われて死に目を見たというのに、この緊迫感の無さは何だろう……
 そんな思いを溜息に乗せた時、苦笑を浮かべるカディと目が合った。
 ごめんね? と言っている様なその苦笑に笑顔を返すと、カディはほっとした様な表情に変わってナークに話を促した。
 今はまだ少女がナークの話を聞くと言ってから、半刻も経っていない。
 少女が落ち着きを取り戻した後、隣室に控えていたカディを招き入れて、まずは少女の自己紹介から話は始まった。
「私の名前はリル。正式な名前は、長いから言いたくないわ。それから出身も」
 淡々と話していた少女の言葉がそこで止ま
ったのを受けて、ナークがそれだけ? と聞くとリルはそうだと短く返した。
「どうも、まだ信用されてないみたいだね」
 カシカシと頬の辺りを掻きながら困った風にナークが言うと、リルはそれを否定した。
「信用してない訳じゃないの。ただ、言いたくない……それじゃ駄目?」
 そう聞き返してくるリルが、今にも泣きそうな、そう思わせるように弱々しいものだったのでナークは思わずカディと顔を見合わせてから、リルに謝った。
「ごめんね。僕達も素性を話したくないのは一緒だから、言いたくないのなら話さなくて良いよ」
 ぽんぽんと優しく肩を叩いて言うナークに礼を言いながら、リルはその言葉に疑問を持った。素性を話したくないと言いながらも、ナークは砂青出身の蟲司である事をリルに話していた。
(じゃぁ、素性を話したくないのはカディの
方?)
そう思ってカディの方を見ると気遣わしげにリルを見ていた視線と目が合った。
遠慮がちに微笑を向けられて、リルはさっきの事をまだカディに謝っていなかった事を思い出した。
「あの、さっきはごめん……。あなたの事が怖かったんじゃなくて、その……夢見が悪くて」
 慌てたように言うリルに、少し驚いてからカディは柔らかな笑みを浮かべてスイっと右手を差し出した。
 握手を求めているらしい。
「許してくれるの?」
「だからさっき平気だって言っただろ? カディはあれくらいの事で怒る様な短気な奴じゃないから」
 求められるままに握手を交わしていたリルに横からナークがのんびりと話しかける。
「リルさんは何で女一人旅なんてしてるの? それも言いたくない?」
「旅の理由……」
 聞かれてリルは黙り込んでしまった。
 言いたくない、と言うのもあったが、正直に言えば何故自分が旅を続けているのか自分でも分からないのだ。
「一人旅の理由は、世界が見たかったから。かな……」
 自分の中の良くわからない感情に一番近いと思われる答えを返すと、ナークもカディもそれで納得してくれたらしい。
「僕達の旅の理由も似たようなもんだから」
 ね? とナークが話を振るとカディは頷いて肯定する。ここまでのやり取りを見ていて、リルはカディが一言も喋っていないのに気がついた。最初は無口なだけなのかと思っていたのだが、ここまで来ると故意に話してないのは明白だ。
「ねぇ、気になったんだけど……」
 と、そこまで言ってリルは言葉を探した。素性を言いたくないと言うカディに、話さない理由を聞くのは果たして良い事なのか? 自分もあまり多くを聞かれたくないだけに、自分の質問が相手を困らせてしまうのではないかと思うと、先の言葉が出てこなかった。
「カディが話さない理由を聞きたいの?」
 考え込んでしまったリルに、ナークの方から提示があって驚いて顔を向ける。
 二人とも困ったような色は伺えない。むしろそんな質問に慣れているかのような様子だった。
「カディはね、話せないんじゃ無くて話さないんだ。それにはちょっとした事情があって、その事情を話すにはカディの素性を話さなくちゃいけない」
 でも、カディは素性を話したくない。だからその質問には答えられない。最後まで言われなくてもリルにはその意図は伝わった。
「うん。わかった、聞かない。ごめんね?」
 そう言ってカディに視線を向けると気にしていないとでも言っているような優しい微笑みを向けられた。
(……前髪、長くなければ格好良いのに)
 微笑むカディはとても精悍な顔つきをしていて、でも優しい心の持ち主なのが滲み出ているような、柔らかい印象を受ける。
 しかし、顔を隠してしまっている長い前髪と、その色が他者を寄せ付け辛くしていた。きっとわざとなのだろうが、勿体無いと思う。
「んー? カディの顔が気に入った?」
「ちがっ……! そんなんじゃなくて!」
 じっと見詰めてしまっていたのか、横からナークが茶化すような口調でそんな事を言ってくるのでリルは顔を赤く染めて、慌てて否定した。
「いやいや、隠さなくても良いよー? 確かにカディは良く見ると整った顔してるからねぇ」
 うんうん、と頷きながら勝手に話を進めいているナークにリルがいくら違うと言っても全く聞き入れる様子は無い。
 反論するのにも疲れて諦めたリルがふと横を見ると、ほんのり照れた様子で困ったように俯いているカディが居た。
 どうも容姿を褒められるのは照れるらしい。
(なんか、外見と性格が反対ね、この二人)
 照れるカディの様子をちょっと可愛い、等と思ってしまったリルはその思いを打ち消すように頭を振ってそんな事を思った。
 身長が高くて怖い感じのするカディの方が、柔らかい性格で控えめな照れ屋。
 カディよりは低い身長で端正な顔立ちの線の細いナークの方が調子が良く、割りと強引で人の話を聞かない仕切り屋。
 そんな風に二人の性格を分析していたリルの耳に、ナークの明るい声が届いた。
「と言う訳で、これから僕達は君に同行させて貰うよ」
 それに驚いたのはリルだけではなかった。
 それは唐突過ぎるだろ、と思ったのかカディもさっさと旅支度をするナークの事を止
めた。
「う〜ん。でも話の面倒なんだよねぇ」
「なによ、そのやる気のない回答は」
 ナークの答えにリルとカディが眉根を寄せた。違ったのはナークは困ったように、リルは怒ったように、と言う点か。
「だって、カディの素性を話さないように同行の理由を話すのって結構難しいんだよ? あ、だからってカディは気にしたり謝ったりしない事」
 ビシっと指差しをして言うナークに苦笑を向けて、カディは頷いた。
自分が喋らない事でナークには面倒をかけていると思う。しかしナークは『自分が選んでカディと一緒に居て、勝手に通訳してるんだから気にしないの』と言う。
こうして旅を続けているのもナークのお陰だと思う。彼と会わなかったら自分は誰とも関わらずにただ放浪を続けていただけだろう。
 だからナークには感謝をしているのだが、
それを伝えようとすると今のように先回りされてしまうのだ。
「……要点だけ話せないの?」
 少しの間を置いてからそう提示したリルに向かって、悩んだ挙句にナークが言ったのは本当に要点だけだった。
「占い師に言われた行動を取る為に、君と一緒に旅をします。って感じかなぁ?」
「本当に要点だけね……」
「うん。しかしリルさん『何で占い師?』とか聞かないんだね」
 少し意外だったのか驚いたような表情で聞いてくるナークに、リルは片眉を眇めて答える。
「言わなかったって事は、素性とかに関わる事で言いたくないって事でしょ? だったら聞いても無駄じゃない」
「察しが良くて助かります」
 にっこりと微笑んで言うナークに溜息をついてリルは思った。
 完全にナークのペースに巻き込まれて入るが、この二人と居るのは苦痛じゃない。
 一緒に旅をしても良いかも知れない。むしろ、それは楽しい物になるのではないか? そんな期待が頭を掠めるが、リルはその思いを打ち消した。
「でも、やっぱり一緒に旅は出来ないわ」
 無理に冷たく言い放っているのはありありと分かる様子で、リルは二人の申し出を断った。
「あなた達にはとても重要な事なのかもしれない。だけど、私はそれに付き合う気は無いの」
 だから、悪いけど。そう言うリルに苦笑を向けてこっくりと頷いたのはカディだった。
 ナークの方はまだ何か言いたそうだったが、カディが完全に諦めた様子だったので口を噤んだ。
「……じゃ、話しはこれでお終い。病み上がりに悪かったね」
 そう言って二人はリルの部屋から出て行こうとした。その表情は、今まで見せていたどんな表情でもない悲しそうな、残念そうな、そんな色々な感情が混ざった物だった。
 ズキリとリルの胸が痛んだ。
(それでも、同行させるわけにはいかないのよ……)
 行動を共にしたら、きっと迷惑をかけてしまう。迷惑、と言える範囲の事ならまだ良いだろう。しかし、下手をしたら命の危険まで出てきてしまう。
(そんな事に、巻き込めない……)
 そう思うのに、去り際のカディ達の顔を思い出すとズキズキと胸が痛んで、リルは上掛けを抱きしめるように強く握り締めた。

 リルの説得が失敗に終わってしまったナークとカディは翌日の朝、きっちりと旅支度を済ませていた。
 リルにも言っていたが近々近隣に砂嵐が起こりそうな空模様なので、歩いて二日かかる隣の集落まで急いでしまおうと言うのだ。
「あれ、ナーク達今から発つ気?」
 部屋から出たところで、リルの着替えを届けに来たのであろうティコとかち合った。
 旅支度の二人を見て驚いたように言うティコに二人は一泊の礼を述べて立ち去ろうとする、とそこに呆れたような声でティコから静止がかかる。
「今は街から出れないよ」
「え?! なんで?!」
「時期考えなよ。今日から一週間は竜蟲の移動時期だよ?」
「……そうだった」
 ポトリと荷物を取り落として、二人は顔を見合わせた。空模様ばかり気にして蟲の移動時期を失念していた。
 竜蟲とは、名の通り竜のごとく巨大な体躯で、空を翔る蟲だ。気性は大人しいのだが砂嵐や風期を避けて移動を繰り返しその度に風竜巻を巻き起こし甚大な被害を近隣に撒き散らして行くのだけが厄介だった。
「連泊、してくでしょ?」
 にっこりと笑うティコに、ナークとカディは力なく笑うしか出来なかった。