の命 W

「で、なんで私の世話を貴方がしてるの?」

 寝台に横たわるリルにじとりと睨まれながら、窓際で本を読んでいたナークは視線を本に向けたまましれっと答える。

「だって、仕方ないだろ? 一週間も足止め食っちゃって暇なんだよ」
「それとこれとどう関係があるのよ?」
「暇だから店を手伝うって言ったら、蟲にやられた君の介護を蟲司の僕に託されたの。正当な理由でしょ?」

 そう切り替えされてはリルに反論の余地が無い。しかも

「大体、あれからまだ3日しか経ってないのに縫合の後まで綺麗に消え去ってるのなんで僕等意外に見られたら色々まずいんじゃないの?」

 パタン、と本を閉じてやや硬い表情でそんな事を言われたら、もう返す言葉が無い。いつもならさっさと街を離れて誤魔化すところだが竜蟲のせいでそれが出来ない今、異常再生能力を知っているナークが口裏を合わせて治療のふりをしてくれるのはとても助かる。

(でも言い方が腹立つのよねー……)

 ぶすっとして寝台の上で膝を抱えるように座るリルを見てクスリと笑うと、ナークは本に視線を戻したふりをして視界の端でリルを眺める。
 生き返る能力。
 異常再生能力。
 この二つを兼ね備えるのは、色々な種族が暮らすこの世界においても数少ない。と言うか、ナークは一種族しか知らない。

(でも、あの種族は……)

 リルがその種族だとは限らない。しかし、もしそうなら『占い師に言われた行動』を取るのに旅に同行させて貰うのは、やはり彼女をおいて他に考えられない。

(この避難期間に気を変えさせられるかが問題だったんだけどなぁ)

 読むでもなく本を眺めながらそんな事に思案を巡らせていると、扉を軽く叩く音が聞こえてきた。

「カディだろ? 入りなよ」

 音を聞いて部屋主のリルが許可するよりも早くナークが入室を促す。リルも憮然としているが何も言わないところを見るとカディの入室を許可しているらしい。
 ほんの少しの間を置いて、戸惑うように扉が開けられたのはリルからの肯定が聞こえなかったのでカディが躊躇した結果だ。
 部屋に入った来たカディは寝台に座るリルに微笑みかけてから手に持っていた籠を差し出す。

「なに?」

 聞きながら籠を受け取ると、それは真新しいサラシャの生地が二・三枚入っていた。
 見目にもそこそこ質の良い物だとわかるそれを見て、リルは目を見はってカディに視線を移した。

「どうしたの? これ」

 驚いた表情で問うて来るリルにカディは笑顔のまま身振りを繰り返す。
 部屋の扉越しに宿の入り口の方を指差し、次に自分。それから手を擦り合わせる様な動作の後に両手を揃えて何かを引き寄せる。その引き寄せた物と布を交互に左右それぞれの手で指差し交差させる。

「……宿を手伝って貰った手間賃で買って来たって言うの?」

 ナークを介さなくともなんとなくカディの言葉が分かって来たリルは、今回も自分で判断した答えを確認してみると、カディはにこやかに頷いた。

「おー、良くわかったねぇ。もうリルちゃんとカディだけでも会話できるねー」

 パチパチと手を叩いて言うナークに、カディもそうだね、と言うような笑みを向ける。しかし、リルは一人無言だった。
 籠の中の布を触ってみると、やはり高級とまではいかないが良い品だとわかる。わかるからこそ、リルはカディを睨み付けた。

「馬鹿!」

 いきなりの罵声。
 驚いてリルの方を振り向くと、彼女は大層怒った様子で布の入った籠をカディに差し出している。
 困惑した様子で見返してくるカディにリルは苛付いた様子で早口に捲し立てる。

「自分で稼いだお金なのにどうして私なんかに使うのよ! 貴方だって旅人でしょう? だったらお金は持っていて損する物じゃないじゃない。どうしてついこの間会ったばっかりの私なんかに使うの! 返してきて、そのお金は自分の為に使いなさい!」

 ぴしゃりと言い付けられて、それでもカディは困った顔でリルを見詰めるだけで籠を受け取ろうとしない。
 それに焦れてリルは立ち上がり籠を押し付けてからさっと寝台に戻ってしまう。

「返して来なさい。私には必要ない」

 そう言って横を向いてしまったリルに、困り果てたカディは仕方なく籠を持ってリルの部屋から出て行った。
 それを横目で見ていたリルが扉が閉まる寸前に見たカディの表情は、胸に痛みを走らせる。
 困ったような、悲しそうな、なんとも言えない表情。また傷つけてしまったと、気が付いた時にはもう扉は閉まっていた。

「……どうも、リルちゃんはカディの事が気に入らないみたいだね」

 大きな溜息と共にナークの声が耳に入る。
 気に入らない? 違う、気に入らないんじゃない。そうじゃないけれど……

「なんで、怒鳴っちゃうんだろ……」

 話しかけるでもなく、ポソリと洩らされたリルの言葉に、ナークはまた小さく溜息をついた。

(原因は、同属嫌悪って所かな? ちょっと違うか……)

 ナークから見た二人は、共に心が優しすぎる。それこそ相手の事を気遣うあまりに逆に傷つけてしまう程に。
 ナークはきっと、賃金の換わりにティコにでも布を見繕って貰ったのだろう。護衛の仕事は命が懸かっているだけに高額の賃金が得られる為、ナーク達は正直お金に不自由はしていない。
 だったら、羽蟲に襲われた時のボロボロの服と、ティコに譲って貰った寸法の合わない服しか持っていないリルに、服を買ってやろうと思うのは自然だろう。
 リルはリルで、さっきの主張のままに自分で稼いだお金を他人の為に使う事はないと思っている。しかもカディがナークの為に、と言うのなら文句はないが、なんの関係もない自分の為に使ったのが『腹立たしかった』のではなく『申し訳なかった』のだろう。

(それと、同情が恥ずかしいってのも理由の一つかな? この子、元は良いとこの出みたいだし)

 三日間、リルの事を注意深く観察してナークは彼女がきちんとした教育を受けた事のある、良家の出身であろうと判断を下した。
 普段の行動はいたってティコと変わらないし、言葉もそう上品とは言えないが、たまに見せる教養や仕草。立ち振る舞いがナークの予測を確定に近づけていた。

「ま、明日で僕達と顔あわせるの最後だから、気に入らなくても我慢してやってよ」

 本を持って立ち上がりながら言うナークの言葉にリルは驚く。

「明日までって、どう言う事?」
「明日の夕刻に竜蟲が通り過ぎる。通り過ぎてから一晩経てば余波も無くなるだろうから、明後日の昼には僕達は出立するよ」

 だから、そこでさよならだ。
 そう言ってナークも部屋から出て行ってしまう。

「明後日……」

 呟いてリルは呆然とした。
 断ったのは自分だ。同行したいと言って来たのを断った。
 一人旅にはもう慣れた。慣れなきゃいけない。誰かを伴えば、必ずその人を危険に晒すから。だから、関わりを持ってはいけないと自分に言い聞かせて来た。
 なのに

「どうしよう……寂しいかも……」

 二人の消えた扉を見詰めて、リルはポソリと呟いた。