の命 T
 砂漠の部分と、人の住む居住区の境がはっきりとしているのが砂青の特長だった。
 風に含まれた砂が常に体にまとわりつく為、砂青の人々は砂避け機能が高い服を身にまとっている。
 手首と足首の所で細くなった高襟の着物を着て、その上に小瓶を数個入れられるようになっている外套を被ると言う物で、女性と男性で服の形式を変えていない為に近隣には『性別の判断が付けにくい服』として有名だった。

「王子! 何をしておいでです!」
「お、爺。どうした?」

 居住区の中でも一際豪華な宮殿、と言う訳ではなく、やや他の民家よりも大きめな建物。それがこの一族の王宮だった。
 その王宮の一角で、呑気に本を読んでいた青年は、血相を変えた家臣に怒鳴られても何を気にするでもなくにっこりと笑顔で答える。

「どうした? ではないでしょう! 明日に控えた聖典祭の準備はどうなさったのです! 下で皆が探しておりましたぞ!」
「あー……ちょっと休憩にね」
「王子に休憩なんぞありません! さ、お立ち下さい!」

 さぁさぁ! と言いながら王子を追い立てる様は家臣が主に対する扱いとは思えないほど乱雑な物だった。
 王子が下に引いていた絨毯を引っ張ってその上から王子を転げ落とすのだから、他の王宮では考えられない行動だ。

「僕がする事なんて何もないじゃないか」
「視察と言うお仕事がございます!」
「手伝いもしないで見てるだけって言うのは、作業をしている方からしたら邪魔なだけなんじゃないかなぁ……」
「そんな事はありません! 皆の励みにこそなれ、邪魔などと思う輩はおりません」

 何とか仕事を取りやめられないかと色々言ってみるのだが、いかんせん相手は王子が赤子の時からの養育係。思考回路は全て読まれていて、見事な切り替えしが来る。
 この一族は、普段世界の方々に散っていて、この居住区にいるのは王族と、王家に使える者、商売をしている者、それと子供と老人だけなのだが、年に一度、この聖典祭にだけはよほどの事情がない限り全ての民が戻って来る。
 久しぶりに一族が介するこの聖典祭は、一族中が楽しみにしている祭でもあった。
 何があるわけではないが、家族と会い、祈りを捧げ、姫巫女による聖歌を拝聴する。それがこの一族には欠かせない大切な祭なのだ。

「時に王子、何をお読みだったのです?」

 しぶしぶと動き出した王子の手に持たれた書物に目を落としながら爺が尋ねる。背表紙や書物自体の表紙は見えているが題名がどこにも記載されていないのだ。

「あぁ、砂赤地区の旅本。ラキアに貰ったんだよ。昨日帰ってきてね」
「そうでしたか」

 何と言う事のない会話だ。
 しかし、その裏で王子と爺の表情はほんの少し暗い。
 この一族には、他の一族にない特殊な事情がある。その事情を解決させているのが王族の役目で、その役目を果たす為に王族に産まれたからにはこの里から一歩たりと外に行く事は許されていない。

「……やはり、外が見たいですか」
「そりゃ、まぁね。でも里は嫌いじゃない。皆も、もちろん好きだよ。だから僕はここで色々な地域を旅して帰って来る皆を待つ。それで話を聞かせて貰うのが楽しい。それで良いと思ってるよ」

 気遣わしげな視線をよこす爺に、にっこりと笑って安心させるように話す。王子の言葉に多少は気が楽になったのか、ありがとうございます、と爺も微笑む。

「王子!」

 通りかかった部屋の中から突然声をかけられて、驚きながらも足を止めると、ほんの僅かに開いていた扉の隙間が大きく開いて、室内から今日の祭の衣装に身を包んだ落ち着いた物腰の女性が現れた。

「ミラ! 見違えたよ。綺麗だ」
「ありがとうございます」

 にこやかに微笑むその笑顔はまるで極彩色の花が開花した様に華やかで、見る者の心を奪った。ただし、王子以外の……

「大役に押して頂いてありがたく存じます」
「僕だけの意見じゃないよ。皆が君が良いと思ったからこそなんだからさ。もう少し自信もちなよ」

 ね? と良いながら軽くぽんぽんと頭を叩くと、思っていた以上にミラの背丈が伸びている事に気がつく。

(五つも下で妹みたい思っていたけど、ミラももうすっかり大人なんだな……)

 そう思うと、そろそろミラとの『婚約者』と言う関係が現実化してくるのだろうなと想像できて、周りが口煩くなる事を考えると少々うんざりするなぁ、等と自分の思考にふけっていた王子の耳に、少し寂しそうな声音のミラの言葉が聞こえてきた。

「この祭が済めば、また皆は放浪の旅に出てしまうのですね」
「そうだね……」

 旅立つ者に思いを馳せているようなミラの口調に、王子の表情も僅かに曇る。
 外の世界に出てみたい。
 でもそれは叶えられない望みだ。
 街から人が居なくなって行くのも、寂しくないと言えば嘘になる。だが、皆が安心して旅立って行くのは自分達がこの里を、皆の帰る場所を護っているからこそなのだと、王子は思う。

「だからミラ、旅行く里の民達に加護を授ける祝詞を。僕も楽しみにしてるよ」

 にこやかに笑って去る王子に、ミラはまだなにか言いたそうだったが王子を引き止める事はしなかった。

「一族皆の前で、祝詞を…か………」

 一人呟くミラの言葉には、今決意したのであろう強い思いが込められていた。