の命 V

 星の瞬く空の下、ティコに気が付かれないように天幕を抜け出したリルは、天幕から少し離れた岩場に座り込んで空を眺めていた。
 砂黄を出た時に最小限の荷物しか持ち出せず、追っ手との距離を稼ぐ為に途中の街にも寄っていない為、天幕は一つしか持っていない。
 その為男性陣は天幕の外で外套に包まって寝ているのだが、その二人にも気が付かれない様にリルは一人になった。
 一人になって、考えたい事があったからだ。

(なんでナークは知っている?)

 砂青の蟲司。
 そう己を名乗っている彼は、何か隠している風で仕方ない。

(隠し事があるのは、こっちも同じなんだけどね……) 

 けれど、何もかも見透かされているようで怖い。
 彼はどこまで知っている? 何を知っている? どう言うつもりで行動を共にする?
 知りたいけれど、聞けない。
 怖い、けれど逃げろとは本能が訴えてこない。だから、危険では無いと、敵ではないと思う。思いたい。

(カディは、どうなんだろう?)

 話をするのはナークばかりで、カディは積極的に会話に参加しない。それは言葉を発さないからと言う理由だけじゃない気がリルはしていた。

(カディも、私の素性知ってるのかな……)

 そんな事を考えていると、ふと視界の端が暗くなる。
 咄嗟に隠し武器を握り締めたリルに、慌てた様子でカディが姿を見せた。

「カディ……気配殺して背後に立つのはあまり良い趣味じゃないわよ?」

 武器をしまって溜息混じりに言うリルに、苦笑を浮かべてから、カディは隣に腰を下ろした。
 曲げた腕を顔の横に当てて何かを訊ねるような表情をするカディに、リルはその意思を読み取って答える。

「眠れないのかって言うの?」

 こっくりと頷かれる。砂黄の街で過ごした一週間で、良く意思の疎通ができるようになった物だなと、リルは思った。

「少しね、考えたい事があったの」

 そう言うと、カディはまたその理由を訊ねる視線をよこす。

「不思議ね。カディって」

 予想もしていなかった答えに驚く。
 そのカディの表情を見ながら小さく笑って、リルは言葉を続けた。

「敵か味方かもわからないこんな状況なのに、貴方の事は何故か無条件で信じられるの。本当になんでだか分からないんだけど」

 言いながら微笑まれて、カディは困ったように笑う。困ったように、と言うよりこれは照れていると言った方が良いかもしれない。

「貴方達の事を考えていたの。本当に敵か味方か判らないでしょ? 敵じゃないと思いたい自分がいるの。だけど、証拠が無いって疑う自分も確かに居るのよ」

 カディ達が敵なのであろうと味方なのであろうと、疑心をこのまま抱き続けているのは気持ちが悪い。
 苦々しい表情でそう言うリルに、カディは今度こそ困った表情でしばらく向き合っていた。
 そして、カディはリルを指差し、次に自分を。その指を心臓に持って行き、とんとんっと軽く叩いた後、傷をつけるかのように斜め十字に動かした。

「私も、カディも、ナークも……心に傷を負ってるって言いたいの?」

 こくりと頷く。それが味方である証明だと言いたいのだろう。さらにカディは心臓を傷付ける動作をまたした後、さすってから自分を指差し、リルを指差し、それから左右一本づつ指を離して立てた。それをくっつけてから平行に移動させるとにっこりと微笑んだ。

「……傷を治す為に、カディは私と一緒に旅をする?」

 自信が無いのか疑問系のリルの言葉に、カディが拍手で答える。正解だったようだ。
 カディが言いたいのは、心に傷を持つ者同士で傷を舐めあおうと言う事ではなく、自分の事に必死で、人にまで構っていられない。だから敵にはなり得ない。そう言う事らしい。
 判り辛い意思ではあったが、それがリルには良くわかった。
 確かに、自分だって他人のいざこざに首を突っ込んでいる暇があったら、自分のこの状況をどうにかしたいと死力を尽くすだろう。

「説得力があるんだか無いんだかわからない説明ありがとう」

 笑って言うリルに、カディも笑顔で返した。説得力が無いと言っていても、それでも納得してくれている様子のリルにほっとした。

「ねぇ、ナークって変な人よね」

 ほっとしていたところに、いきなり来た話題に、きょとんとした表情を浮かべるカディにリルは続ける。

「それから、食えない奴」

 心底嫌そうに言うリルの様子に、カディは苦笑を浮かべるしかなかった。
 確かにナークは底が見えない所がある。発言もわざとにしろ無意識にしろ突然相手の確信を付くような話し方をしたと思ったら、核心には触れない遠まわしな言い方で精神的に追い詰めるような言い方をしたりもする。

「カディってば良く付き合ってられるわよね」

 溜息と共に言われた発言に更に苦笑を浮かべてカディは軽く手を胸に置き、ふんわりと笑う。

「本当は優しいって言うの?」

 眉を寄せて訝しげに言うリルに笑ったまま頷く。そんなカディに「そうかもしれない」と肯定しつつリルはこう付け加えた。

「でも思わせぶりな言い方が気に入らない」

 不機嫌をあらわにした意見にカディはまたも苦笑するしかなかった。

「……なんで私が砂白の生き残りって気が付いたの?」

 一瞬の沈黙の後、リルが不意に真剣な面持ちになって聞いて来るものだから、カディはただ驚いた。
 この問いかけではリル本人が砂白の生まれだと認めた事になってしまう。まだ素性を話したがっていなかったリルのこの発言に、カディは戸惑った。

「襲撃された理由くらいは、教えても良いかなって思ったの。これからも、ああ言う事ある訳だし」

 カディが戸惑っているのに気が付いたか、リルはそう付け足した。
 カディもナークもリルの素性を感づいているとは思う。だから襲撃の原因も分かっているだろう。だけど、ティコには教えてあげなきゃいけないと思った。襲撃の理由を話すには、自分の素性を晒さなくてはならないけれど、それでもリルは教えなくてはいけないと感じていた。

 あんな状態で出てきてしまったのだ。父や町の人の安否を気にしていないわけが無い。それに、彼女が生まれ育った家を、街をあんな風に荒された理由を彼女は知る権利があると思った。
 けれどティコはずっとリルの方から言い出すのを待ってくれている。気を使ってくれているのが分かるから、彼女には言っても良いと思った。

「居るんでしょ? ナーク、ティコ」

 ちらりと背後に視線を投げながら言うと、ばれちゃた。と悪びれもせず物陰からナークとティコの二人が姿を現した。

「よく気が付いたね」

 笑顔で言いながらて手近な岩にナークが座ると、ティコもそれに習ってナークのそばに腰を下ろした。

「ナークの気配は今気が付いたけど、ティコは直ぐ分かったわ。気配消せてないから」

 笑いながら言うと、ティコは消した筈なんだけど、とぶつぶつ言っている。旅慣れしていないという事は、蟲からとっさに身を隠すために気配を殺す事を余りした事がないという事だ。本人は消したつもりでも、旅慣れした三人からしたらその存在には直ぐに気づける。

「カディも知ってるんでしょ? 私の素性」

 四人が丁度円を描く様に座って、視線がリルに集ると、リルはまずカディにそう確認した。その言葉にカディは苦笑を浮かべつつ、重ねた手を心臓の前で小さく動かした。それを一旦停めてまた動かす。
 その動きはティコには解読不能だったがリルとナークには分かった。

「やっぱり生き返りのことか」

 手の動きは心臓の動きを表していた。一度止まった心臓がまた動き出した、リルの生き返りの事を指している。
 生き返り、と言う言葉にティコの疑問が増える。何の話? と三人に視線を走らせるティコに苦笑と溜息を同時について、リルはぽつぽつと話し出す。

「あいつ等は私の命を狙ってるの。砂赤の王、バシレウスの命令でね」