砂の命 | T |
この世界には伝説が多い。 様々な力を持った一族が多いせいか、伝説もただのお伽話として皆の意に止められない物が大半だが、その中でも一部の信望者によって取りただされた伝説がある。 不老不死の妙薬が砂白にある、と言うのがその伝説だった。 「そんなもの、本当にこの国にあるの?」 下女達の噂話を耳にした『命の巫』は自分の教育係をする女官の元を尋ねていた。 白い王宮はまるで迷路のごとく道がわかれ、姫と言えど決まった道以外は通ると迷ってしまいそうだ。 「姫様、そんな戯言を誰が?」 軽く眉を寄せて、噂話に嫌悪感をにじませているこの女官は、とても優秀で知識量も多い。その彼女が「戯言」と言うならばきっとこの話は嘘なのだろうと巫姫は確信した。 「さっき下女達が話してたのよ。不老不死の妙薬がこの国にあって、他国が狙っているって」 「姫様、下女達の言う事を真に受けてはいけません。彼女達は根も葉もない噂話をするのが大好きなのですから」 膝を折って目線を合わせながら言う女官に、さほど怒気を感じなかったのは、彼女が自分に対して怒っているわけではなく、下手な噂話をしていた下女達に対して怒っているからだと、巫姫はわかっていた。 怒る時でも、褒める時でも、話をする時にはきちんと目線を合わせて話してくれるこの女官を巫姫は好きだったし、信頼していた。 「確かに、我が国の民は他国よりも長寿なのでそういった噂が流れているかもしれませんが、妙薬など有もしない作り話ですよ」 「ねぇ、不老不死って年を取らないし死なないって事よね? もしそれが本当だとしたら子供は子供のままなのかしら?」 「そうですねぇ、薬を飲んだ時期にもよるのでは?」 そんな薬は無いと言いながらも、こうやって雑談に付き合ってくれる彼女を、巫姫は教育係と言うよりも母の様な存在だと思っていた。 「時に姫様。明日から3日間が祭の為の『お篭り』だと言う事を覚えていらっしゃいますか?」 「忘れたかったけど、覚えてるわ」 問われて巫姫は不機嫌になる。 お篭りとは祭のある三日後までを籠の中に入って過ごす、巫としての大切な役割で、三日間は食事も無くただ一族の平穏を祈っていなければならない。 「狭い籠の中に三日間もなんて、考えるだけで嫌になるわ」 「嫌でも巫姫としてのお勤めですから、我慢なさって下さい」 「わかってるわよ」 この儀式の為に、巫姫の我が儘は今まで許されてきたと言って良い。それを、巫姫もわかっているから我慢をする。 (三日よ。それだけ我慢すれば後は我が儘言い放題言ってやるんだから) 口には出さず、巫姫はそう決意していた。祭の後も今までの様な生活が保障されていると疑いもしないで。 「それで? 噂をリルデオラントの耳に入れた下女はどうした?」 「先ほど処分を」 「うむ。真相を知られては事だからな」 白の宮殿でも一際広く、豪華な作りをしたこの部屋は一族の王と許された者しか入室を許可されない『神の間』 今ここには巫姫リルデオラントの父である王と、その教育係である女官の二人だけがいた。 「祭は三日後。それまで何があってもリルデオアラントには真相を知らせてはならん」 「御意」 「今日で、三日目……明日、出れる」 声に出して言った筈の言葉は、もはや自分の耳にも届かないほどか細かった。 籠の中に入って三日目。 食事を取らず、話す事も見る事も叶わずただ目の前にある暗闇を見詰めるだけの日に、巫姫は気が狂うかと思った。 「でも、平気……」 大半を寝て過ごすと、意外と意識を保てた。暗闇の中で耳を澄ますと、籠の置かれている部屋に人が出入りするのが音でわかった。 それらに耳を澄ませ、感覚を研ぎ澄ましていると意外に精神は平静を保てる物なのだと発見した。 「おなか、すいた……」 遠くから、何かの匂いが香って来る。 きっと夕食の支度だろう。風に乗ってきたのか絶食をしている巫姫には酷な香りだ。 「……出たい」 籠の中から、抜け出してしまおうか。そんな考えが脳裏に浮かぶ。 「でも、祭が……」 そう思ってから、巫姫はふと思い起こす。三日後に外に出してくれると、誰か言っていただろうか? 籠に篭る時に、泣いていた母。あれは辛い絶食を耐えなければならない我が子への労わりの涙ではなく、もしかして…… 「別れの涙、なんて、言わないよね……」 己の思考に、巫姫は震えだす。 もしかして、このままなんて事は無いよね? だって、ずっと籠の中にいるんだったら三日なんて期限最初から言わないよね? そう思っても不安は止め処なく溢れて来る。 篭るだけなら部屋でも良いのになんで籠なんだろう? どうして巫が絶食をしなければならないんだろう? 祭は何故数年に一回だけなんだろう? 巫はなんで我が儘が許されるんだろう? もし三日経って無事に外に出されるなら、なんで自分以外の巫姫がいないんだろう? 「湖に向かうのは半刻後だろう?」 突然の声に、巫姫の思考は中断された。 籠の置かれた部屋に誰か入って来たのだ。 「あぁ、だけど運ぶ途中で落としたりしたくないからな。ちょっと練習したいんだよ」 「そんな事をして、中の巫に気付かれでもしたらどうするんだ」 「三日目だぞ? 意識はないだろう」 「まぁ、そうだろうが……」 今この人物は運ぶと言っただろうか? 運ぶ? 何を? だって、この部屋にはこの籠しか置いてない……! 「よっと」 掛け声と共にぐらりと揺れる感覚が巫姫を襲う。驚きのあまり声を上げそうになるが、それは音にならず揺れる籠の中で転がらないように手を付くのが精一杯だった。 「結構重いな」 「こんなに金を使ってりゃ、籠自体が重くな るさ」 そんな会話と共に衝撃が巫姫に伝わった。籠を下ろす時に床にぶつけたらしい。 「おい、気をつけろよ」 「すまん。しかし、これを湖まで運ぶとなると、本当に気を付けなけりゃ危ないな」 「あ、おい。そろそろ持ち場に戻らんとまずいぞ」 「そうだな」 ぱたぱたと去って行く足音を聞きながら、巫姫はただ震えていた。 叫び出しそうなのを必死で堪えて、完全に人の気配が消えるまで籠の中で丸くなって震えていた。 湖に運ばれて、私はどうなるの? それ以上は怖くて想像する事も出来なかった。父も、母も、教育係も、皆この事を知っていたのだろうか? 知っていて、あんなに平然としていたのだろうか? 「知らないはず、ないよね……だって、お父様は……この国の、王なんだもの」 「姫様、我が国の湖は、神に捧げ物をする事で枯れずに存在しているんですよ。満月の映りこむ日に湖に捧げ物を沈めるんです」 昔に教えられた女官の言葉が蘇る。 籠に篭った日は十三夜月の朝。三日目の今日は十五夜月。 そう、満月だ。 『満月の日に湖に捧げ物を沈める』 「私……殺されるんだ……」 そう悟った時、不思議と体の震えが止まっていた。怖くなくなったわけではない。だけど、震えも止まり頭の中が妙にすっきりとして思考が回った。 「逃げなきゃ……」 死にたくない。それだけを思って巫姫は籠の中を手で探った。 出口になるようなところは初めからない。けれど、どこか、何かないかと探す。 「ここ……」 手が当たった壁の部分が少し揺らいだ。 先程の男達が籠を置く時にぶつけた場所だ。戸板が外れる。出れる! そう思った時には巫姫は本能のままに行動した。死にたくない。ただそれだけを思って。 這い出た部屋は真っ暗で、だけど籠の中に比べればまだ明るかった。 自分が抜け出した事がわからない様に、外した戸板を元に戻し、気配を殺して部屋の外に逃げる。 王宮は小さな頃から遊びまわった。行ってはいけない場所も随分行った。そんな経験が役に立つ。 人気の無い抜け道の様な道を伝って、誰にも見つかった事の無い秘密の小部屋に走りこむ。 「……っう…げほっ……」 ぜいぜいと荒い呼吸と、吐き気にも似た苦しさだけが巫姫の今生きている証拠だった。 ここに隠れていても駄目だ。誰かに助けを求めなくちゃ…… そんな事を考えているとにわかに外が騒がしくなる。祭が始まったのだ。 「籠が通るぞ!」 鈴の音だけが鳴る中、ゆっくりと生け贄の籠が運ばれて行く。中に巫姫がいないとも知らずに。 ちりん、と鈴の音が聞こえる。それが徐々に遠ざかって行く。人の気配も無くなり、皆が湖に移動したのだとわかる。 「逃げなくちゃ……」 父や教育係には助けを求められない。 他に誰がいる? いや、誰も助けてくれなくても逃げなくては、殺される。 この国の外へ。 人の気配に気を配りながら慎重に、でも素早く王宮を走る。体が重い。飢えと乾きが襲ってくる。もしかすると自分が思っているより全然早く動けないでいるのかもしれない。 そんな事もわからずに無我夢中で走っていると、湖にいる筈の人物が目の前にいた。 「母様……」 その人の姿を見た時、巫姫は助かったと思った。 お篭りの時に、唯一泣いてくれた人。 この人だったら助けてくれる。 「母様……!」 「リルデオアラント……! なぜ、貴女がここに?」 泣きながら走り寄る巫姫をしゃがんで抱きとめながら、王妃は問う。今頃はもう湖の底に沈んでいる筈の娘が、なぜここにいるのか。 「籠の中で、聞いたの……私、湖に沈められるって……それで、怖くて……」 「逃げ出して来たの……?」 泣きじゃくる頭を優しく撫でながら言う王妃の言葉に、巫姫はこくりと頷いた。 「ねぇ、リルデオアラント。なぜ祭の前にお篭りをする必要があると思う?」 「え?」 優しく髪を梳きながら、穏やかな口調で言う王妃の言葉が、あまりに唐突な事だったので、巫姫は涙を止めて母を見上げた。 「三日の絶食をしているうちに意識を手放させる事が目的なのよ。沈める時に苦しまないように。そして貴女のように逃げ出さないように」 自分を抱きしめる母の腕がぎりっと痛いほどに体に食い込む。 「母様……?」 身動きが出来ないほどに強く抱きしめられて、巫姫は上手く息が出来ない。それでも構わず王妃はすっくと立ち上がり歩き始める。 「まだ、間に合うかもしれないわ……お父様の所に行きましょうね?」 「……!」 にっこりと微笑む母の顔は、いつもの通りの優しい顔だった。 「いや……」 だけど、決して逃げられない様にと締め上げてくる腕 「嫌だ……」 否定の言葉を聞いても、揺るがない歩調は更に早まり湖へと向かう。 「いやぁーーー!」 絶叫は空高くに浮かぶ月へと吸い込まれて行った。 |
6 章 |