の命 V

「それから、私は父の言うとおりに水を汲んだわ。それを取りに来た商人に売ってお金を手に入れた。自分の分の飲み水を取っておいて、旅に出たの」

 もう、白の地には居たくなかった。
 父の言うとおり、何か意味があるのならそれにすがってみたかった。

「でも旅をするうちに不老不死の話を聞きつけた赤の王に狙われ始めて、ああやって他の人の事なんて考えない襲撃を受けるようになたの」

 リルが言葉を切ると、その場に沈黙が降りた。どんな言葉を掛ければいいのか、わからなかった。

「ティコ、ごめんね」
「なんで謝るの……?」
「私のせいで、あなたの街は……」

 砂赤は各国の中でも随一の軍国主義。兵士の質では他を圧倒する。
 貿易を行っていた頃の砂白や砂青は、砂赤とも対等に接していたがその二国は現在国としての機能はしていない。
 砂赤の軍人達が、他国であそこまでの横暴が行えるのは、そんな背景があるからこそだ。

「リルのせいじゃないじゃない!」
「私が街に立ち寄らなければ、襲われる事は無かったわ」
「だけど……!」
「私は人と関わってはいけなかったのよ」

 リルのせいではないと、懸命に訴えるティコに、悲しげな笑みと共にリルは言う。

「私と関わると、またあんな事があるわ。命の危険がつきまとう。ナーク、カディ。今からでも遅くないからティコを連れて私から離れた方が良いわ」

 巻き込みたくない。
 その気遣いは痛いほどに伝わって来た。しかし、だからと言って「はい。そうですか」と引き返す訳にはいかない。

「リル、僕達は……」
「馬鹿!!」

 ばちん、と聞くだけで痛そうな音がナークの言葉を遮った。いきなりティコがリルの頬を叩いたのだ。

「人と関わらないなんて、どうしてそんな寂しい事言うの?! そんなの寂しくない訳ないじゃない!」
「ティコ……」

 呆然としているリルを怒った目で見ながらティコは立ち上がる。

「私、絶対一緒に旅するからね! 置いていったりしたら一生呪ってやるんだから!」

 腰に手を当て、威圧的にそこまで言うとティコはずんずんと天幕の方に戻って行った。

「ティコ?」
「大変な旅に備えて寝るの!」

 慌てて呼び止めるナークの声に振り向かずに答えると、ティコは天幕の中へと消えた。呆気にとられながらそれを見送った男二人は、苦笑を浮かべるしかなかった。

「って事で、リル。観念して一緒に旅しよう
よ。気楽に構えてさ。僕達結構強いから安心だよ?」

 笑いかけるナークに、リルはまだなにか言いたそうな顔をしていたが、それは黙殺されてナークもその場を離れ天幕に戻って行ってしまった。

「……痛い」

 二人が去った方を見ながら、ぽつりと呟いたリルは、叩かれた頬に手を当てる。自分では見れないが、きっと赤くなっているに違いない。
 夜風に当たって少し冷えて来た体に、ぱさりと何かがかかる。カディの外套だ。

「いいよ、カディが寒くなるよ?」

 気が付いてそれを返そうとするが、カディは微笑むだけで受け取ろうとしない。何度かの押し問答の末、結局リルは外套を借りる事にした。

「……変わった子ね」

 いきなりの話題ではあったが、それが誰の事を指しているのかはわかった。
 カディもティコの行動には驚かされたので、苦笑を浮かべる。

「あんな過去を知れば、大抵の人が私を非難するのに」

 確かに、一族が滅びるきっかけを作ったのはリルだろう。けれど真相を知らされず殺されるとだけ知ってしまったら、リルの行動は責められる物ではないと思った。
 疑問が顔に出たか、リルは苦笑してカディに言葉の真意を教えてくれる。

「水よ。私が死んでいれば砂白の湖は枯れる事無く、今でも豊富に沸き出でる貴重な水源だった。でもそれが枯れ果てて砂白の輸出に頼っていた地区では水はかなりの貴重品になっているわ」

 井戸から組むのも金が取られ、汲み上げる水の量に制限が設けられている。それ程に苦労しなかった水の使用に、苦労をする上に今までの倍近い金が取られるのだ。怒りの矛先を向けられる事も多かったのだろう。
 リルが素性を言いたがらなかった事もこのあたりに起因しているのかも知れない。
 自嘲の笑みを浮かべて言うリルに、カディはそっと手を伸ばし頭を撫でた。

「なに? カディ」

 突然の行動をいぶかしんだリルが問うと、カディは髪を梳くように頭を撫でていた手で頬を軽く擦った。

「え?」

 それでやっと気が付いた。
 リルは涙を流していたのだ。

「やだ、なんで……」

 気が付いた途端に涙の量が多くなる。
 ごしごしと手の甲で擦るリルを止めて、そのままカディはリルの顔を自分の胸にやさしく押し当てた。

「カディ……?」

 優しく抱きしめられて、子供をあやす様にぽんぽんと背中を叩かれて、リルが今まで必死に止めてきた感情が一気に溢れ出してしまった。

「っ……うっ……」

 それでも、声を殺すあたりがリルらしいのだが、カディの服を掴んで素直に泣いた。
 もう、流れないと思っていた涙は止めどなく溢れ、カディの服を濡らした。
 教育係と言う身近な者の死 母の死 父の死。そして一族の死。
 それに付随する孤独と飢え。
 向けられる敵意と殺意。一人の少女がとうてい背負いきれる物ではなかった。
 泣きやまないリルを、カディはずっと優しく抱きしめていてくれた。