砂の命 | U |
「カディを隔離塔に閉じ込めただと?!」 夜も更けた頃、長の部屋にラルドの怒鳴り声が響いた。 「そこで病を貰い死ねば良し。病を受けていないのであれば、我等が直接手を下さねばならん」 「そんな事聞いてるんじゃねぇ!」 どん! と壁を殴りつける音が、部屋の外で待機している警備の者を慌てさせる。 「長、如何なされました?」 「大事無い。そのまま控えておれ」 「はっ」 沈黙が室内に降りる。 ラルドと長は互いに睨み合ったままだ。 「ラルド、解れ。一族の為だ」 「一族の為なら人殺しもしていーってのか」 沈黙を破った長の言葉に、被るようにラルドが怒りも露に言う。 その言葉に盛大な溜め息をついて、長は短く「そうだ」と答える。 「一族の為なら、俺の事も殺すのか」 ラルドは病にかかる可能性が高い結界者だ。尽した挙げ句に見捨てられる可能性は多いにあった。 「あるいはな」 ほんの少しの躊躇の後、長は苦々しくそう言った。 「一族の為には息子をも殺すか。立派な長だよあんたは」 「ラルド!」 はき捨てるように言って踵を返したラルドを呼び止めると、足を止め顔だけで振り返り長を睨みながら言う。 「長としては立派でも、人としては腐ってるぜ。失礼致しました長殿」 今まで呼んだ事のない『長』と言う呼び名で父を呼ぶ。 それはラルドなりの決別だった。 「人一人守れない一族なら、いっそ滅んでしまえ!」 外周警備に出たラルドは誰ともなしに怒鳴った。 「目の前に外の世界があるのになんで出れないんだ!」 己の起こす風の障壁が、外の世界と自分を阻んでいる。 風を解けば直ぐにでも外に出られる。出られるが一族に被害が及ぶ。 「弱いのは、結局俺か……」 呟いて手を握り込む。掌を己の爪で傷つけるのもかまわず強く握られた。 「ラルド」 不意に背後から声がかけられて、驚きながら振り向くと、ラルドの恋人であるセラが立っていた。 「セラ! ここは病が入り込んでいるかも知れないから来るなと言っただろう」 「大丈夫よ。貴方の風が守ってくれているもの」 微笑んでセラはその場に腰をおろした。ラルドもその横に座る。 「ねぇラルド。病ってどうしてかかるか知ってる?」 風の向こうの世界を見ながら言うセラの質問に、ラルドは一瞬戸惑ってから一族の者なら誰でも知っている話をした。 「そりゃ、目には見えない病の元が体に入るからだろ?」 「そうね。でもそれがなんで他人にうつるかは知ってる?」 立て続けにされた質問に、今度は閉口する。ラルドの想像では小人の様なものが体内に入り込み、中から攻撃をされて傷付き病も人死に至るのだと思っている。 しかし、それでは他人にうつる仕組みがわからない。 「咳でうつるんですって。咳の中に病の元があって、咳と一緒に空気に乗って他人に取り付くんだって」 「誰がそんな事を」 ラルドの言葉に、一瞬の間を置いて笑う。 悪戯っぽい笑みを浮かべてセラは思いもかけない事を言った。 「外の人間からよ」 「なんだって?! 外の人間とどうして話が出来る?」 病を持ち帰る危険性があるので、一族の者は一切この風の結界から外に出る事を許されていない。自分の命が無くなるかもしれないと知っていて、外に出ようとする者も少ないのだが。 「私、ラルドの後について来た事が前にもあったの。他の結界者に見つかって帰されてしまったんだけど、その時直ぐには帰らないで結界の近くを歩いていたのそうしたら、声をかけられた」 風結界は透明。阻まれてはいるが姿も声も通るのだ。 セラは壁の向こうにバスク乗った数人の軍人を見つけた。 「この一族にも女はいたのか」 それが第一声だった。 それはとても不遜な声だったが、自信に満ちていて気持ち良いほどに通る声だった。 「警備は男の仕事なのかと思っていたが、女もいるとはな。おい女、長と話がしたい。取り次げぬか?」 バスクに乗ったまま、あくまで横柄な態度をとるその男に、セラはなぜか怒る気がしなかったと言う。 「それで色々な話を聞かせたのか?」 言うラルドの言葉には、ほんの少しの非難と沢山の驚きが混ざっていた。 一族の事を他の一族に教えてしまったのか? そう言っているのだ。 「塔の暮らし方だけよ。能力や巫女の事は話してないわ。でもね、代わりに外の事を教えて貰ったの。貴方が喜ぶと思って」 そう言ってセラは話した限りの事を教えてくれた。 外の暮しや病の事、薬の事、そして自分達森羅一族の事。 「病ってね、空気に乗る物なんですって。だからこの結界を張っていても、完全には防げていないんじゃないかって」 「だとしたら何で俺達は生きていられるんだ? 病にかかれば死ぬしかないんだろう?」 「うん。私も聞いたわ。そうしたら、免疫が付いたんじゃないかって」 僅かながらの外気に少しづつ当たる事で、体の中に病に対する免疫が付いて来たのではないかと砂赤の者達は言ったらしい。 と言う事は、結界を解いても森羅一族は暮らして行けると言う事だ。 「今日もまた来るって言ってたわ。その時は一族の代表になる者と話がしたいって」 「でも長は……」 話す筈が無い。 一族の事だけを考え、一族の事しか頭に無い男だ。他の一族と交易など、一切考えてもいないだろう。 「俺じゃ駄目か?」 セラに聞くその顔には、ラルドの決意が見えた気がした。その言葉にセラは笑って答える。 「そう言うと思って、長の息子が話しに応じますって言っておいたわ」 そして、ラルドと赤の王バシレウスは出会い、今まで一人として外に出る事の無かった森羅の者が始めて外界に姿を現した。 「この世界に水を取り戻す為に砂黒の血を継ぐものが必要なんだ。力を貸せ」 「俺の力はあんたの為に使おう、バシレウス。親でさえ軽んじた俺を、重用してくれた礼返しだ」 そんな盟約を結んで、ラルドはバシレウスと共に行く事を選んだ。 「外を見たら、きっとまた戻って来てね。私はここで待っているから」 笑ってそう見送ってくれたセラにラルドは首飾りを渡した。 「この首飾りに誓って、必ず帰って来る」 「それじゃぁ私は死が分つまで、貴方をここで待ち続けると誓うわ」 永遠にも等しい長寿を誇る森羅の者が、死で分かれるまでと言う事は永遠に待ち続けると約束したのと同等の誓いだ。 黒曜石の首飾りに二人分の誓いを込めてラルドは森羅から姿を消した。 それから十日後。 森羅を悪夢が襲った。 「長、咳をする者があちこちに見かけられます。病が広範囲に広がったのでは?」 「隔離塔の扉や窓は?」 「塞がっています」 病が一切無かったこの一族にしてみれば、咳の一つで大惨事である。どこから病が入り込んだのか、どう対処すればいいのか、それが解らなかった。 「長! 発熱をしている者がおります」 「呼吸が荒く、立つ事も出来ないでいる者が出ました!」 「最初に発熱した者の中に、血を吐く者がいます」 次々と入ってくる報告。 それに追いつかない対応。 そうして、森羅一族全体にその病は広がった。 次々と一族の者が病に倒れる中、隔離塔でも一人倒れている者がいた。 死の巫だ。 自らが死を与えた病人から貰った病に倒れてどれほど経っただろう。 高熱にうなされて、それでもじっと死を待っていると、不思議と体が楽になってきた。 最初は、これで死ねるのかと思ったがどうやら逆で、回復に向かっているらしい。 何もしていないのに、なぜ? そう思っていても答えは出ず、体を完全に動かせるようになるのにそう時間はかからなかった。 それでも死の巫は隔離塔から出ようとしなかった。病がうつらなかった場合には長から刺客を向かわせるので狼煙を上げて待てと言われていたからだ。 指示通り、狼煙を上げて待つが人の来る気配は無い。変わりに聞こえてくる呻く様な声。 隔離塔にいても聞こえて来るこの声に、一族に何かあったのでは、と巫は決意して塔から外に出た。 「……巫、たす、け……」 塔から出るなり縋り付かれ、体制を崩してよろめいた。慌てて抱き起こしてみれば、助けを求めてきたその人物は体は骨と皮ばかりになり、呼吸には咳が混じり、声は掠れていて弱い。助けてと紡ぐ口には吐血したのであろう血が赤黒くこびりついていた。 巫の衣服を掴む手は殆ど力が入っておらず、高熱を発している。 「殺して……死なせて、下さい……」 『病』だと、巫は直ぐに気が付いた。 塔に病が侵入したのだ。 「皆、病に倒れました……死んだ者も沢山います……巫、どうか、死ねずに苦しんでいる我等に死を……」 痩せこけて窪んだ眼窩に見詰められ、死の巫は眉根を寄せた。困っているような、悲しんでいるような、そんな表情だった。 どうか、と縋り付いて来る者をそっと抱えなおしてその場に横たえてると、巫は額に手を翳して死の言葉を呟く。 ばさ、と落ちる砂の音。そこにある砂の小山を暫く眺めてから巫は居住区に向かった。 「巫……巫がいらっしゃったぞ……」 「ぉお、救いの手だ。巫、我らを早よう楽にして下さい……」 「死を。我らに死を……!」 居住区の中は、地獄のようだった。 明かりを点ける余裕も無いのか薄暗い塔の中はひどい悪臭が立ちこめ、腐臭すらした。 横たわる人々は皆空ろな瞳で空を眺め、痩せこけ、呻いていた。 「カディ」 呼ばれて振り返ると、弱々しくはあるが立って巫に視線を向ける長の姿があった。 よろめき歩く長を、本来ならば支える誰かがいる筈なのだが、横には誰の姿も無く震える足で長は一人立っている。 「我が一族はお終いだ、カディ」 真っ直ぐに巫を見ながら言う長の表情に、悲しそうな色は無い。むしろ、諦めたような、と言った方が良い表情をしていた。 「ラルドが、外の世界に飛び出して行った」 長の言葉に巫は驚いた。 巫が塔に閉じこもる前に言っていた、外に出たいと言う言葉を実行してしまったのだ。 「それから直ぐだ。この病が広まり始めたのは……ラルドが抜けた分、風の壁が薄くなり病が入り込んだのだろうな……」 そこまで話すと急に咳き込み始めてしまった長の背中を、慌ててさすってやると長は咳の合間から血を吐いていた。 慌てる巫制止して、長は言葉を続けた。 「この病にかかると血痰が出るらしい。心配は無用だ。どうせ助からん」 良いながら促されて、巫は長を支えながら近くにあった椅子へと歩いた。椅子に座ると深く息をついて長は改まって巫に向き直った。 「カディよ、お前に頼みがある」 不意に真剣な声音で言われ、カディはしゃがんで椅子に座る長と目線を合わせた。 「ここに生き残っている者全てを。殺してはくれまいか?」 病になんてかかる筈も無かった一族に、医者はいないし薬も無い。病に対する知識がまず無いのだ。このまま苦しみながら死に向かうだけらなば、いっそ死の巫に殺された方が一族の者にとっては幸せだった。 「生の巫がいない今、一族の者へ死を運べば、お前の命は伸び、死ねなくなる。それでも私はお前に頼みたい……」 一読の者を楽にしてやってくれと。 長の言葉に、死の巫は苦笑を浮かべてから無言でゆっくりと動き出した。 横たわる一族の者達の手を取り、繋げさせてゆく。動けない者も、握る事さえも出来ない者もいた。けれど、ただ重ねるだけでも良い、そうして今生きている者全てを輪にした最後に、自分と長を加える。 「すまんな、カディ。許してくれ……」 手を出来る限り強く握って、長は言う。それに、巫は微笑む事でしか返せなかった。 円になった一族の者全員に、これから放つ言葉が聞こえるように死の巫は今までに出した事のない、はっきりとした大きな声で、一族の者に死を宣言した。 巫と近い場所に居た者から、次々に砂へと変わって行く。ばさっ、ばさっと崩れ落ちて行く音を、巫は一人聞き続けた。 誰も居なくなった塔の中で、巫は暫く佇んでいた。 これからの長い長い時を、どうやって生きていけばいいのだろう? そんな事をぼぅっと考えている間でも、自ら命を断ち続ける事だけは浮かばなかった。 生きていられた筈の一族の命を無駄にしようとは思わなかったのだ。 「……カディ、良かったまだ居たのね」 苦しげな声が急に背後から聞こえてカディは驚いて振り向いた。 もう誰も残っていないと思っていたのだが、たった一人だけ生き残っていたのだ。 「ごめん、ちょっと肩、貸して?」 ふらつく足取りで歩いて来たのは、セラだった。一人どこかへ行っていたのか先程長達に会った場所には居なかった筈だ。 「私が死ぬ前に、これ、貴方に渡しておこうと思って……隔離塔に向かってたの」 そう言ってセラが差し出したのは黒曜石の首飾りだった。 「ラルドと、約束したの。命尽きるまで、ここで帰りを待ちますって……だけど、もう死が来ちゃったから……から、貴方が持っていて? そして、もし会えたらあの人に渡してほしいの」 言われて、差し出すその首飾りを受け取った。「お願い」と言う声に優しく微笑んで、巫は何度も頷いた。 「良かった……」 安心したように微笑んで、セラはそれきり動かなくなった。 眠っているかのようなそれは、確かに死で、巫は自分が与えた物以外の死を始めて目の当たりにした。 力が抜けてだらりと下がるセラの事を抱きしめて、死の巫はラルドを探しに旅に出る事を決意した。 |
9 章 |