校舎の2階一番西側にある被服室から、校舎の4階東側にある演劇部の部室までは結構距離がある。

 部室と言っても演劇部の場合、小さ目の練習スペースと大道具等の雑多な物を置く部屋がここ、と言うだけで活動のほとんどは体育館で行っている。その為部室は汚かった。

「ごめんね、散らかってて…」

「いや、別に良いけど」

 ガタガタと何かに使ったのであろう彫刻もどきを退かして歩を進める。

 奥に台本を読み合わせたりする小さな練習スペースがある様だ。

「配置逆にしたら、行き来し易いんじゃないのか?」

「それだと廊下の音で気が散っちゃうからって先輩から受け継いだから。なんとなくそのままなんだ。動かすの大変そうだし」

 苦笑いする演劇部員達に、確かに…と相槌を打っていた真琴の耳に、なにやら台本読みとは違った感じの声が聞こえて来た。

「だから、私は役者をやる為にこの部活に来たんじゃないんだってば!」

「人数が足りないんだもん、仕方ないじゃない。それに、役者をやりたくないなら演劇部なんか来なきゃ良かったでしょ?!」

「私は、演劇の裏方がやりたいから演劇部に入ったの! 役者がやりたくなくたって演劇部に入る理由はあるわ!」

「またやってる……」

 そう呟いてから真琴を呼んで来た演劇部員達がふぅー、っと溜息を付く。

「どうしたの?」

 顔では横を向き、指は前を指して真琴が聞く。“また”と言うくらいなのだから喧嘩の理由も詳しく解るだろう。

「あの子ね、この間の夏公演の準備中からの途中入部なの。その頃は先輩もいっぱいいたから一、二年にはあんまり役が回ってこなくて、出たくても出られない状況だったの。だから配役に部員の数が足りなくなるなんて事無くて、出れない子はスタッフとして頑張ってたのよ」

「それが、今回の芝居じゃ人がちょっと足りなくてね。裏方だけやりたいって言われても困るのよ。出演者が変更になれば台本を直さなくちゃならなくなってくるし」

「それに、あの子裏方って言っても『音響だけ』やりたいって言うんだもん。人数いないのにそんなの無理だよ」

 口々に不満を漏らす部員達の言っている事は利に適っているように思えた。

 かと言って、良く事情も知らない問題に首を突っ込むほど真琴はおせっかいな人間ではなかったので、そうなんだ、と適当な相槌だけ打って傍観した。

野本さん。あなた一人の我がままで全然打ち合わせが進められないの。これ以上台本に時間をかけてたら本番までに他の事が全部間に合わなくなるのは、裏方希望のあなたが一番良く解るんじゃない? いい加減にして」

 先程の怒鳴り合いとはとは打って変わった冷静な、だがキツイ物言いで部長らしき生徒が騒ぎの原因―野本と言う名前らしい―をいさめた。

「だから、私を裏方オンリーにして、あんまり出番の無いD役を消せば問題ないじゃない。それなら台詞を他の役に分けられるから台本変更の手間は掛からないでしょ?」

 部長の言葉も、野本にはまったく通じていないようだ。あくまで彼女の中では役者をやらない方向でしか思考が動いていない。

 その野本の態度に、先ほど怒鳴り合っていた部員達がとうとう切れた。

「そんなに裏だけやりたいなら文化祭の実行委員にでもなれば良いじゃない!」

「あんたの我が侭になんで私達が付き合わなきゃならないのよ!」

「そんなに役者がやりたくないなら演劇部退部してよ!」

「そうね、人数が居ないから役が足りないって言うのならまだ納得できるわ。やりたくないならさっさと退部して」

 怒りも露に野本に詰め寄る部員達を、部長が制した時には遅かった。

 今にも泣き出しそうな表情のまま、野本は無言で部室を飛び出して行ってしまったのだ。

「ちょっと言い過ぎよ。部活に入るのは生徒個人の自由の筈でしょ。それを退部しろだなんて」

「だって部長!」

 溜息と共に部長が部員達を注意した。その言葉にまだ食い下がってくるが、部長はパンパン、と手を叩いてそれを静止した。

「その話題はもうおしまい。野本さんは、やる気があるなら戻って来るでしょ。台本は直さなきゃならないから、文芸部に後で連絡を取ってみましょ」

「……はい」

「で、紹介がすっごく遅れたけど、衣装を担当してくれる事になった裁縫部の兵頭真琴君よ」

 いきなりの紹介で、真琴は慌てて軽くお辞儀をして小さく「よろしく」と告げる。その言葉に演劇部らしい声量で「よろしくお願いします!」と盛大に返ってきた。

「す、凄い気合だね……」

「三年生は最後の公演だからね。じゃ、こっちで詳しい話するわ」

 促された場所は狭い部室の片隅に、申し訳程度に作られた作図等を行うスペースだった。

「まずね、台本を読んでこの世界のイメージを作って欲しいんだ」

 手渡されたのは結構厚みのある台本。

「……俺、本読むの壊滅的に遅い人なんだけど?」

「え…、じゃぁ、一旦芝居無しの朗読で芝居見せるから、それでストーリー掴める?」

「台本と平行しながらなら、なんとか出来ると思う」

「じゃ、それは後にして。配役表はこれ。役者は…、ごめん。全員は居ないみたい」

 部室を見回して部長が謝るが、真琴としては話がわからなければ衣装の考え様が無いので、プランが上がるまでに採寸が出来て入れば十分だった。

「全員居なくても台本の朗読出きる? できるなら見せて貰って、イメージ固めちゃいたいんけど」

 そう言う真琴の要望に答えて、部長が部員達を招集し、台本の本読みが開始された。

 台本の内容はファンタジーで、男女二人の主人公が、ひょんな事から突然開いた時空の穴に落ち、異世界に放り出されるという話。

 異世界で色々な人物と出合ったり別れたりした主人公達が、強さと勇気を得て自分達の世界へ帰りつくまでを休憩を入れた二時間で上演すると言うのだ。

「結構、難しいね……」

 台本を読み終わって、真琴から出た第一の感想がそれだった。

「話の内容が?」

「いや、芝居にするには難しいんじゃないかなって。ファンタジーって漫画とかならではの気がするからさ。実写にするのは難しそうだなってね」

「うん。難しい。だからね、衣装って大切なんだ」

 難しいとは言っているが、部長の表情は楽しそうだ。難関を超える方が面白いとでも言いたそうな笑顔だった。

「妖精が森で飛び回っている、って聞いてどんなシーンを浮かべる?」

 突然そんな質問をされて、咄嗟に真琴の脳裏に浮かんだのは緑を背景にひらひらした服を着た金髪の小さな子供が宙に浮かんでいる情景だった。それをそのまま伝えると、部長は満足そうに質問の意図を教えてくれた。

「その風景を実写に。しかもお金をかけないで高校演劇ができる範囲で、って言ったらどうすると思う?」

「いや、全然思いつかないな。芝居ってあんまり見ないから」

「背景の照明を緑にして、色合いの違う緑系の光を舞台中に当てて、ひらひらした衣装の役者を舞台で跳ねさせるわ。私なら、ね。その時にその役者が『妖精だ』って観客にわからせる方法は二つ。他の役者の台詞に『ほら、妖精だよ』とか説明的な言葉を言わせる事と、衣装」

 言葉終わりと同時に、すっと指差しされて真琴は部長の言わんとする事が解った。

 ファンタジー世界に出て来る『現実には居ない存在』を視覚的にわからせる為の効果として、衣装とセットが重要だと言われているのだ。

「あんまり期待しないでくれ。自信なくなってきた」

「大丈夫よ。兵頭君ならできるって!」

 苦笑を浮かべる真琴の背中をバシッと叩いて部長がカラカラと笑う。

 それから台本を片手に「何役の誰々さん」と紹介を兼ねた採寸をしてその日の部活は終了となった。

「じゃあ、衣装プラン出来たら持って来るって事で良いかな?」

「うん、なるべく夏休みに入る前に買い物済ませちゃいたいから、それまでに宜しく」

「了解」

 演劇部の扉を出る頃には、真琴の頭の中で魔女や妖精や騎士がクルクルと回っていた。

       ***

    第一幕 第四場  


町人
  異世界への扉? さぁ聞いた事ないね


少女
  なんでも良いんです。なにかそんな感じの事聞いた事無いですか?


町人
  そういやぁ、町からちょっと離れた所に住んでる胡散臭い男が、異世界の人間だって聞いたが……


少女
  本当ですか?! その人の所にはどうやったら行けるんでしょう?


町人
  おいおい嬢ちゃん。人に情報出させるだけで自分は何もしない気か?


少女
  でも…お金とか持ってないんで…。


町人
  仕方ねぇ、じゃ仕事をして貰おう。言っとくが、簡単な仕事だと思うなよ? 



       ***