演劇部の依頼を受けてから4日が経った。
真琴は都内から高校の最寄駅へと続く電車の中で自分の描いたデザイン画と台本を見比べていた。
さっきまでいた服飾専門学校は、これから真琴が受験しようと思っている学校で、何校か見学に回ったうちで最も教師陣の感触が良かった学校だ。
デザイン系の学校は、生徒の才能を重視する校風と、自分の感性に生徒を押し込めようとする校風に分かれている、と真琴は思った。
もちろん、選んだのは前者の校風を持った学校。それだけに競争率は高い。
(在校生もレベル高いしなぁ……)
学校見学会の合間に、演劇部からの依頼デザインを、メモ帳に落書き程度にしたためていた所、案内役の教師に発見され、怒られるどころかアド バイスと、在校生の作品を見せて貰って来たのだが、そのせいで逆に今までの自分のデザインが全て気に入らなくなってしまっていた。
(視覚的に解らせる……難しいなぁ。魔女ならわかり易く黒いフード付きのマントって思ってたけど、それじゃデザインにも何にもなってないからなぁ……)
視覚的に何の役なのか解らせる為には、定番なデザインが良いだろうと、ありきたりな衣装デザインを考えていた真琴だったが、今日の教師の言葉にそんな考えを一掃された。
「安易なデザインにならずに、その者とわからせるデザインをするからこそ『この人に衣装を頼んで良かった』と思われるのよ? 本当にそんなありきたりなデザインを演劇部に渡すの? それが自分の作品だって胸張れる?」
(張れないよなぁ……これじゃ)
4日間で半分ちょっとの衣装を描き終ったと思っていたが、これは1から考え直す必要があるみたいだ。
(芝居の動きが見れれば、なんか思いつくかもしれないなぁ)
そう思って、真琴は自分の用事を済ませた後に演劇部に寄って見る事にした。
真琴の用事、それは進路指導室にいる教師に専門学校を決めた事と学校見学に行った事の書類を提出しに行く事だった。
「そうか、やっぱりあの学校に決めたか」
「はい。今日も学園祭の事で色々相談に乗って下さって、講師の方々も良い人ばかりだったし、何より在校生に凄い人が居るんですよ。目標に出来るくらい」
「うん。気に入ったらなそこで問題ないだろうが、本当にいいのか? まだ夏休み前だし、休み期間中にもう何校か回って吟味する手もあるぞ?「めぼしい学校はもう行っちゃいましたから。たかが一ヶ月で何かが変わるとも思えないですし」
「まぁ、お前は早い段階から色々調べてたからな。良いだろう。受験、頑張れよ」
「はい」
書類を受理して貰って、相談室を後にした真琴と、ほぼ同時に扉から出ようとする女子生徒とぶつかりそうになり、一瞬足を止める。
「ごめんなさい……!」
「俺もごめん。周り見てなかった……って、あれ? 君この間演劇部で……」
「え…? あぁ、確か部室に居た……」
ぶつかりそうになった女子は、4日前の演劇部で役者をやる、やらないで大揉めしていた野本だった。
「進路相談?」
なんとなく気まずい雰囲気だったので、少し明るめの声色で聞くと、野本は真琴が思っていたよりも友好的な感じで答えてくれた。
「専門学校にね、行きたいんだけど中々希望しているような学校が無くって急かされてる所。進路は見つからないし、親には反対されてるし、部活は追い出されるし、なんかヤな事ばっかりよ」
ははっと自傷気味に笑う野本の言葉には、真に迫るものがあって、ふざけた感じに話していても真剣に悩んでいるのが解った。
「そっちは学校決まったみたいね……えと…そう言えば、名前知らないわ」
「あぁ、ごめん。兵頭真琴って言うんだ。裁縫部の」
真琴の名前を聞いて少し思案した後、野本は驚いた表情と共にやや大きめな声を上げた。
「あー、名前は知ってる。去年の裁縫部人気トップの子でしょ? 男の子だったんだ」
「男の子だったんですよ。で、そちらのフルネームは?」
「あ、ごめん。私が名乗ってなかったね。野本明良。一応まだ演劇部」
退部届は出してないから、と笑う明良が演劇部に向かうと言うので、真琴も一緒に歩き出した。
「もう一度、冷静にお願いしてみようと思ってさ。台本は、きっと私抜きの配役に変更してるだろうし……って、あ。別に辞めたフリして台本変更を待ち構えてた訳じゃないからね?」
「あれ? 違ったの?」
少し意地悪っぽく聞き返す真琴に、明良は本気になって否定する。
「本当に違うんだからね?! 退部しろって言われてから真面目に悩んで、退部も考えたんだけどやっぱり芝居やりたくて、だからもう一度ちゃんと頼んでみようって思ったから今日行くんだもん」
「解ってるって。そんな本気で弁解しなくても、そこまで嫌な奴だと思ってないよ」
笑いながら言う真琴に、意地悪な奴、と膨れている明良に、真琴は自分に似た物を感じていた。
やりたい事に突き進む、目標を持っている目をしていると、そう思ったのだ。
「そうだ。なぁ、これどう思う?」
突然そう言って真琴が明良に見せたのは、衣装デザイン画だった。ありきたり、と言われた物と、電車の中で描き直したメモ帳の切れ端を両方渡して見比べて貰う。
裏方に拘る明良なら、衣装の事もそれなりに知っていそうだし、何かアドバイスを貰えるかもと思ったのだ。
「ん〜、メモ帳の方が私は好きだな。デザイン画の方はわかりやすいけど、解り易過ぎてつまらない感じ」
「やっぱり」
「演劇部の皆も、メモ帳の方が良いって言うんじゃないかな? 後はこれを着て芝居をするにあたっての動き易さの問題かな」
「あー、なるほど」
そんな会話をしながら歩いていると、演劇部の部室はもう直ぐそこに来ていた。
部室からは死角にある階段を後一歩上がれば廊下に出ると言う所で、数人からなる話し声が聞こえて来た。
どうやら廊下に出て休憩をしていた演劇部員達のようだ。
「もー、台詞増えて最悪! 野本さんが抜けた分の台詞ほとんど私に来てない?」
「仕方ないじゃん、場面的にあんたか野本さんかどっちかが喋るのが一番自然な流れなんだから」
「だけど、台本直しのせいでまた文芸部に借り作らされちゃったし、一人居なくなると立ち位置とかも変わって迷惑だよねー」
「ほんと。スタッフだけやりたいとか我がままだっつーの」
「あ、でも。裏方やりたかったなら、なんで放送部やめたんだろうね?」
「辞めたんじゃなくて辞めさせられたんだってよ。どうせまたなんか我がまま言ったんじゃないの?」
「放送部がダメならうちって事? ふさけんなって感じじゃない?」
「ねー、ムカツク」
マズイ、と思っても真琴にはどうする事も出来なかった。
会話が聞こえて来ないように何か話し掛けるにしても遅すぎたし、何よりここで声を出したら演劇部員達にも気が付かれるだろう。
なんとなくそれは避けた方が良い気がした。
冷や汗が垂れる気がしつつ、そっと明良の方を見ると、俯いて拳を強く握り締めている。
どうした物かと思い、取り合えず明良を促してこの場を去ろうとした真琴が、おずおずと明良の肩に手を伸ばすと、その手が肩に触れる前に明良は階段を駆け下りた。
「あ、野本!」
思わず名前を呼んで真琴もその後を追った。
その足音と真琴の声に驚いたのは演劇部員達だった。
「え、今の声って兵頭君?」
「って言うか、野本って呼んでたよね?」
「まずくない? 聞かれてたんじゃ……?」
さすがに本人に言うつもりはない悪口まで聞かれてしまったと言うのは、彼女達もバツが悪いようだ。
どうしよう、と顔を見合わせる部員達に部室から稽古再開の声が掛かって、一同が釈然としないまま廊下は無人となった。
一方、走り去った明良が足を止めたのは1階の中庭部分だった。
中庭と言っても余り手入れのされていないここに、人影は少ない。明良はよく来ているようだった。
「野本……」
追って来たのは良いが、何を話したら良いのか解らず石で作られた無骨な椅子に座り込む明良の傍に立って名前を呼んだ。
しばしの沈黙が降りた後、明るい口調の明良の言葉でその場に会話が始まった。
「ごめんね、変な所ばっかり見せて。なんか、最近私走ってばっかりだな」
笑うその顔に元気は無く、明るく話していても声は段々小さくなる。
どう返答していいか、真琴が答えあぐねていると、やはりまた明良の方から話をしてくれた。
「聞いたでしょ? 私元は放送部だったんだ。でも辞めたの。ってか、辞めさせられた」
「辞めさせられたって、何で? 夏で引退って事じゃなくてか?」
明良の表情は暗いままだが、今度は真琴もまともに答えが返せた。
演劇部員達の悪口を聞いた時から疑問に感じていた話題だったからかもしれない。
「放送部ってさ、お昼の放送しか目立ってないけど本当は集会のマイク設置とか、体育祭のアナウンスとかもちろん設営も仕事としてあったんだ。だけど、部員の女の子達は昼に自分の好きな曲を掛けたいから部活に入ったんであって、集会とかの仕事はやりたくないって言ってね、全然やらなかったの。それに怒った男の子達と喧嘩になって、放送部は野球部とかサッカー部と同じで男子のみの部活にするって決まっちゃったんだ」
これはやりたいけど、それはやりたくない。と言う展開で揉め事になっているのを最近見かけたなぁ、と真琴は思った。
そう、放送部の問題と、今明良が演劇部で起こしておる問題は同じ事だった。一概に先程の『どうせ我がまま言って辞めさせられたんだ』と言う悪口も嘘だとは言い切れない。
そんな風に真琴が思っていると、その思考を読んだのかの様に明良が言葉を続けた。
「私はやってたんだよ? 設営。スピーカーのセッティングとか好きで、音響の仕事したいから、今もそう言う専門学校を探してるんだ」
「音響を、仕事に?」
明良の言葉を聞いて真琴は驚いた。放送部の仕事を就職になんて思ってもみなかったからだ。しかし、良く考えれば音に関わる仕事は結構溢れていた。
「そう。一般的にはテレビの音声さんとか、コンサートスタッフとか想像するみたいだけど、私は芝居を主にして、色々なイベントに関わる音響になるのが夢なの」
「あ、だから演劇部の……」
「うん。高校演劇だって経験しているのとしていないのとじゃ違うだろうし、何より芝居の音響が一番やりたかったからさ」
「俺が、今デザイナーの夢に向かって裁縫部に居るのと同じって事か」
「そうだね」
にこっと笑って真琴の言葉を肯定する。
明良も、真琴と同じで夢に向かって歩いている一人だったのだ。
今まで、真琴の周りには『夢』と言い切れうほどの物を目標にしている友達が居なかったせいか、明良が夢に向かって歩んでいる事が真琴は無償に嬉しかった。
しかし、明良は夢に一番近いであろう部活を辞めさせられてしまった。
部活をやっていないと学校に入れない訳ではないだろうが、自分の気持ち的には少しでも夢に近い事をしていたかったのだろう。
「なあ、設営やってたのに、なんで野本まで辞めさせられたんだ?」
仕事をしていたのなら、辞めさせられる理由は無いじゃないか、と真琴は思ったが、明良から返って来た答えは簡潔な物だった。
「女だから」
「え?」
「女全員辞めさせるのに、仕事してたからって一人だけ残ってると角が立つから辞めてくれって言われて、退部させられたの」
「そんな、勝手な…!」
怒る真琴に、明良は悲しそうな笑みを向けて話を続けた。
「ほんと、勝手でしょ? だけど、芝居の音響がやりたいなら演劇部に入れて貰えよって放送部の部長に言われて、その手もあるなって演劇部に入ったの。演劇部は毎回公演の時放送部に音響を依頼してたから、それを私がやれば良いって思ったの」
でも、演劇部ではスタッフだけはやらせられないと言われてしまったわけだ。
「私ね、人前で何か喋るのってすっごい苦手で、それなのに芝居なんてできる筈ない。やったとしても絶対下手だし……。皆がこの公演にかける意気込みが半端じゃないって解るからこそ、逆にやりたくない」
芝居は、やってみないと下手かどうか解らないんじゃないかと思ったが、自分が明良の立場だったら上手く演じる自身なんて無かった。だから真琴はあえて『やらなきゃ解らない』と言うつもりは無く、けれど別の言葉を明良に投げかけた。
「なぁ、それ演劇部の奴らに言った?」
真琴の問いかけに明良は首を横に振る事で答えた。
「なんで言わないの? それ言えば解ってくれるかもしれないじゃん」
「言っても無駄だと思ってたから。人数が足りないのに! ってその事だけしか見えなくなってる人達に何を言っても無駄かなって思ってさ。けどね、今日話しに行こうと思ってたんだ。台本を直して少し余裕が出来たら落ち着いて聞いて貰えるかと思って。でも、遅かったみたい」
泣きそうな笑顔を浮かべる明良に、次にどんな言葉を掛けたら良いのか、真琴は戸惑った。ここで言葉を並べても、何も事態が好転しないように思えたから。
「……あきらめるかなぁ」
独り言の様に呟く明良は、もう話し合いの場を持つ事も諦めている様な表情だった。
そんな明良の顔を見て、真琴は少し不安になった。明良が自分の夢までも諦めてしまっていそうだったから。
「諦めるのは、部活? それとも進路?」
思ったままの疑問をぶつけた真琴を、明良は驚いた目で見つめた。見つめられてから、真琴は何故か自分もとても情けない顔をしているだろう事に気が付いた。
「諦めるなよ」
夢は、諦めたらそこで終わる。
辛くても、やりたいと思った事があるならそれをやり続けなくちゃ、前には進めない。
自分も追っている夢がある。
目の前にいる明良にも、叶えたい夢がある事を知った。
けれど自分よりも、彼女の前には少し多い障害が置かれていて、折角卒業までの短い間だけでも夢に向かう仲間が出来たと思ったのに、彼女はここで立ち止まり、別の道に行こうかと悩み始めてしまった。
それが真琴には悲しい……いや、単に嫌なのかもしれない。
辛いから諦めようとする明良の姿に、自分を重ねて見ているせいかもしれなかったが、夢を諦めて欲しくなかった。
「部活がやれなきゃ専門に受からない訳じゃないだろ? 演劇部の方だって、今俺に話してくれたみたいな本音を、ちゃんと伝えたら、今からだって遅くないかもしれない。それに、演劇部がダメなら放送部の方に頼みに行ったって良いんだし……」
「あそこまで悪口言われて嫌われてるのに、今更頼みに行けるわけ無いじゃない。放送部の方だって、ただ女子が邪魔だから追い出しただけだって噂もあるのに、お願いしに行ったって無駄だよ……」
真琴の言葉を遮るように明良が吐き捨てる。
押し黙ってしまった真琴を見て、明良は立ち上がる。
「学校は、確かに部活をやってなくたって入れるわ。けど、肝心の学校も決まってないし、親にだって反対されてる。だから、もう良いの……」
最後は消え入りそうな呟きだったが、真琴の耳にははっきりと聞こえた。
立ち去る明良の背中に、もう一度「諦めるな」と声をかけたが、それに答える声は返って来なかった。
***
第一幕 第五場
魔女
異世界に帰りたい? それならもっと西の魔女の所に行かなきゃ駄目さ。
少女
そんな、さっきはここの魔女さんが移動の魔法を使えるって聞いて・・・
魔女
確にあたしは移動魔法が使える。ただしこの世界の中で限られた範囲だけね。
西の魔女が住む場所近くまでならそれで送ってやれるよ?
少女
ほんとうですか?!
魔女
ああ。ただし条件がある。
魔法に使う水をその大瓶いっぱいに森の泉から汲んで来る事。
しかし、お気をつけ? その瓶は水を吸い込んじまう水飲み瓶だ。
手早く水を汲んで来ないと何時まで経ってもいっぱいにはならないよ?
暗転
少女
もうだめ・・・
(疲れた少女。バケツを持ったまま座り込む)
声
諦めるな!
少女
だれ?!
声
君と同じ異世界から来た者だ。
旅で知り合った魔法使いに頼んで一時だけ君と心を繋いで貰った。
少女
貴方は、もう帰れるの?
少年
まだだ。
ただ噂で君の事を聞いて、話がしたかったんだ。
君が先に進んだって聞くたびに、俺も頑張らなきゃって励まされてきたから。
少女
そぅ、だったんだ……でも私はもう駄目。
溜ったと思った水が、消えちゃったのよ。
一日かかったのに、やっと溜ったと思ったのに……
もう疲れちゃったよ。
少年
諦めるなよ! 一度出来たんなら必ずまたやれる!
コツを掴んでるなら、さっきより早く汲めるって!
少女
だけど・・・
少年
疲れたなら、休んでから再開させれば良い。
でも、諦めて止めてしまったらこの先には何もないぞ? 諦めなければ道は必ず繋がるんだ。
少女
道は、つながる?
少年
そうだよ。どんな事にも前を向いて、諦めない。
少女
諦めない・・・
少年
目的地は同じなんだ。
俺達の道は多分何処かで繋がっているよ。
だからそこで会おう。一緒に元の世界に帰ろう!
少女
うん・・・
***
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