「街が騒がしいわね」
「姫の婚礼が近いからじゃないか?」
「それだけかしら……?」

下町の一角で道具屋ディラルヴァと共に居た行商人のアリス=ミスカは最近いつもより人々の動きが慌ただしい事に違和感を覚えた。
長い間この城下町に暮らしているので見知った顔が多いはずなのに、近頃どうも知らない顔が増えたのだ。それは戦士であったり魔法使いであったり盗賊であったりした。

盗賊はまだわかる。彼らは流れ者だから。
が、魔法使いと戦士が増えているのは近々執り行われるであろう魔王と姫の婚礼が関係しているのに間違いはないだろう。

「あの、すみません!」

街の様子を探ろうと外に出たところで声をかけて来たのは見知らぬ魔法使いと女戦士の二人連れ。

「魔族について何か知らないか皆さんに聞いているんです。貴女はなにか御存じないですか?」
「……私は何も知らないわ。急いでるの、ごめんなさいね」

必死の様子で聞いてくる魔法使いにそっけない態度で対応して、アリスは街の中を進む。
そっけない態度を取るのは当たり前だ。なにせ彼女こそが魔王の復活を望む魔族なのだから。
人に紛れて暮らし、魔王復活の手掛かりを求めて来たこの城下町でアリスは神託を聞いた。そして確信したのだ。魔王はすでに仮宿に入り込み姫を娶ったあと、勇者の血を取り込みその子供として完全体での復活を果たそうとしているのだと。

「あれは……」

なじみの酒場の近くを通りかかった時、庭師のリーファスが何やら大事そうに鍵を抱えてアイメルの元へ向かうのが見えた。
夜明けの鍵が、と呟いていたのが僅かに聞こえてきてアリスは街のざわめきの原因をはっきりと認識する。

「どうにかして魔王の婚礼を阻止しようとしてるのね……小賢しい」

確信を持ってからアリスは仮宿が誰なのかを探りつつ、魔王の有利に事が進むよう陰ながら動いてきた。神託の本当の意味を知る者が気を違えたと知ればそれを監視し、勇者の血を引く者を復活の時に合わせて城下に呼び寄せた。
しかし今だ仮宿が誰なのか解っておらず、それでもアリスは婚礼の義が間近に迫った今、冒険者が何人騒ごうと魔王復活は覆せるものではないと確信していた。
だが、歩くたびに「魔族について知らないか」と聞いてくる冒険者たちを相手にするのは至極面倒だった。

「一旦、街を離れるわ」
「そう。じゃあ私もお供しようかな」
「……なぜ?」
「そうしたいから」

道具屋に戻って荷物をとり出て行こうとするアリスに、ディラルヴァは微笑んだままそう告げた。
実の所、彼とはとても長い付き合いだ。
そう、25年もの間を共にした。
が、彼はそのことを知らない。

赤ん坊の時に出会ってから、見目麗しい青年になるまでアリスは彼と共に居た。いや、彼を育てたと言っても良い。
彼女だけが、変わらぬ姿で。

(子供のころから掴めない子だったけど、今でも何を考えているのか解らないわね)

戸惑う間にさっさと旅支度をし終えて、さあ行こうと手を差し伸べてくる。
その手を、取ってしまうのは何故なのか。それはアリス自身にも良くわからなかった。
変わらぬ姿のままでは長きを共にできるはずもなく、一時期からは遠くから眺めるだけで一人で生きさせた事もある。
その間に彼は色々な処世術を身に付け、立派に一人立ちして道具屋としてこの城下で暮らすことを選んだ。

なぜこの城下を選んだのか? 赤ん坊ながらこの場所に思い出があったのか、それとも本能から来るものなのか、行商人を名乗って道具屋に居座る形での監視を続けてみてもアリスには解らなかった。
ただ分かったのは、彼が魔王を受け入れる器ではない事。

(勇者の血を引き魔力の高い人間の男。これ以上相応しい器は無いと攫ってみたけど神託は姫を選んだ……この男はもはや用無し。けれど……)

隣を歩くディラルヴァを道具屋へと帰す事が出来ない。
彼の気質からいって素直に帰るとも思えないが、これ以上一緒に居ては色々と邪魔になる。
魔王復活の、邪魔になる。

(それが、判っているのに……)

何故、とアリスが自分の思考に入り込んでいた時、隣から軽く腕を引かれはっと意識を表に向ける。
街を出ようと歩いていた二人の前にビースを先頭に数名の冒険者が立ちはだかっていたのだ。

「邪魔ね……」
「通すわけには、いかないんだ」
「私はこの街を出たいの。どきなさい」
「行かせないと言っている」

ぐっと力を込めるビースの手に魔法の光が見える。
盗賊、魔法使い、戦士、立ちはだかる冒険者たちの手にも同じく戦う意思が見えた。
それをみてアリスはため息を漏らし、そして嘲るように笑う。
(人間ごときが、1000年の時を生きる魔族の私に適うはずもないのに、愚かな奴ら!)
前に出ようとするディラルヴァを制してアリスは笑い、ビースの正面に立って高らかに宣言する。

「良いわ相手になってあげる!」

アリスの手に煌めくのは彼女の武器。女王の爪と呼んでいるそれで敵を切り裂き、体を貫くのだ。
人間相手には魔術なんて必要ない。そう判断したアリスの体捌きに冒険者達は翻弄される。
彼女の思った通りレベルの低い者も合わせて作られた即興のチームのようだ。連携はおろか攻撃態勢にすら入れてない。

「無様ね」

クスリと笑って一人の冒険者をその爪で切り裂こうとした、その時だ。

「皆、いまだ!」
「ツインダガー!」
「?!」

今まで逃げる一方だった冒険者達がビースの号令で一斉に攻撃へ転じた。
そこでアリスはハッとする。
盗賊達が逃げ惑い、戦士が剣で追い込んで魔法使いの包囲陣に誘導されていた事に気付いたからだ。

「アリス!」

戦いを見守っていたディラルヴァから、初めて心配そうな声が飛んだ。盗賊達が放った技でアリスの防壁が崩されたのだ。

「今なら魔法が通じる!」
「リルウィンド!」
「っ!!」

包囲陣から一斉に魔法の光が放たれ、網のようになってアリスを捉える。
もう何年も浴びていなかった攻撃魔法の光。全身に走る痛みに身を屈めながらアリスはそういえば、戦いなんて何時ぶりだろうかとぼんやり思う。

「…まだまだよ!!」

力技で包囲陣を打ち破りながら、アリスは思わず笑った。
魔族の自分が戦いもしないで自分を心配そうにみつめる青年の成長を見守っていた時間の方が、当たり前になっていたなんて。

「戦士達!」
「フラムブレード!」

よろめきながら立ち上がるアリスに、畳み掛けて剣戟が繰り出される。手に、足にと刃が通り、血が流れる感覚を受けながらアリスは思う。
(なんで、こいつら…こんな辛そうな顔してるのよ?)
攻撃を繰り返しながらも、冒険者達の表情は晴れない。
もう少しで勝てるというのに、なぜか一様に辛そうなのだ。
戦いながら不思議に思ったアリスの視線に、気まぐれで古い古い硬貨を渡してやった魔法使いと女戦士の姿が見えた。

「貰った硬貨をアイメルさんに見せました。彼女はもしこの硬貨を持っていた人が本当に1000年の時を過ごしたのなら、その人はとても孤独だったのでしょうねって」

魔法の光を煌めかせながら、魔法使いは語る。その言葉にもしかしたらアイメルには魔族だと見抜かれていたのかもしれないと悟る。

「だから、私は貴女の事も救いたかった」
「…戯言を!」
「戯言じゃない!私は言ったはずです、貴方と友達になりたいって」

女戦士のその言葉に、そういえば言われたなとアリスは笑う。
今もその時もどうせ先に死ぬ人間ごときの戯言としか捉えられず鼻で笑ってしまうような馬鹿げた台詞だ。
反撃の魔法は弾かれて、伸ばした爪は冒険者に届かない。
戦いながら同情の目を向けるられるなんて屈辱でしかない。
巫山戯るなと叫びながら、アリスは爪を振るい魔法使いに血を流させた。
倒れる魔法使いにビースが駆け寄り庇う。が、それを追いかけてアリスの爪が伸ばされた。

「危ない、アリス!」
「?!」

ドン! と魔法が爆ぜる音がした。
背後から迫っていた盗賊の罠に、ディラルヴァが気付きアリスを庇う。

「なぜ…?!」
「怪我はないかい?アリス」
「どうして庇ったの……だって私は……!」
「知っていたよ、もう随分前から。君が魔族だってこと」

困ったようにも悲しそうにも取れる笑顔で、ディラルヴァは穏やかに言う。
それでも、君を守りたかったのだと。

「馬鹿じゃないの、貴方……」

そうかもしれない、そう言うとディラルヴァはビースに向かい合い互いに手負い。これ以上の戦闘は無意味であると告げた。

「君達はこの街に僕らを足止めたい。それだけならもう良いだろう?」
「ディラルヴァ、君は……」
「良いな?冒険者ビース」

スッとディラルヴァの眼付きが変わる。その動きに気がつき、ハッとしてビースは無言で冒険者達を連れて引き下がる。
それでも彼らを牽制するように見つめながら、ディラルヴァは手負いのアリスを連れだした。

「大丈夫か、アリス……」
「どうして魔族だって知りながら、私を庇ったりしたの? 貴方は本当は……!」
「それも、知ってるよ」

ディラルヴァの肩を掴んで困惑のままに怒鳴るアリスに、悲しそうな声が告げる。
自分が何者なのか、もう知っているのだと。

「知っているというか、思い出した、かな……」
「貴方、それ……」

王家の紋章が入った産着の切れ端と、王子の名前が書かれた命名書。
それらは間違いなく赤ん坊だったディラルヴァ…いや、この国の王子をアリスが攫ってきた時に身につけていた物だ。

「失くしたと思っていたわ……」
「何人かの冒険者がね、見つけてわざわざ届けてくれたんだ。それで、思い出した」
「だったら、尚更なんで!!」

胸ぐらを掴むように詰め寄るアリスを、ディラルヴァは逆に抱き込むようにして落ち着かせようと試みる。が、落ち着く様子は見せず困惑は広がるばかりだ。

「言っただろ?それでも君を守りたかったんだと」
「……っ」

言葉と共にディラルヴァから暖かい何かが流れ込んでくる気がして、けれどそれを受け入れてはいけない気がして、アリスは彼を思い切り突き飛ばした。

「その甘さ……後悔するが良い!!」
「アリス!!」

飛び去るその体を引きとめようと伸ばした手は空を切り、アリス消えた空を見つめディラルヴァ、いや、フォルローグ王国第一王子ジルセールは痛ましげな表情を浮かべて遠くから聞こえる鐘の音を聞いた。

「婚礼の時刻が、近づいている……」

行かなければ、まだ見ぬ妹達を魔王の手から守る為に。