トラ

 それから放送部員の苦難と怒濤の日々が始まった。

「いやぁー! 追いかけて来ないでよぉ!」
「首を縦に振るまで追いかけてやる!」

 放送部が動かない。と言う事はこの学校では、一切の器材が使えない。と、言う事になる。何故ならビデオ・カメラ・マイク・拡声器・プロジェクターに至るまでが全て放送室で管理されており、それらの貸出しについては手続きが必要であり、部員が必ず1人は派遣されなければならないと言う校則があるからだ。

 しかし、現在の放送部にそんな人材は無い。それに今までこんな風に一挙にいろいろな所で発表を行う行事が無かったのも事実。人がいくらいても出来る訳が無いのだ。しかも今回は『演芸大会』。どの部活もマイクくらい欲しい所だ。

「水無月和之ぃ! 期待していた我が陸上部に入らなかった代わりに器材をどうにかつごう付けて貰おうじゃ無いか?」
「入らなかったのは本当に悪いと思ってます」
「じゃぁどうにかしてくれるんだな?」
「すいませんが、俺器材面事全然ダメなんですよ」
「なんだと?」
「俺、器材運搬係なんで」
「話しにならーん! 他の部員はどこだ!」
「逃げてます」
「探す!」

 走り去る陸上部を呆然と見送りながら和之はまずい事を言ってしまったと後悔をした。

(あの先輩達が凌一郎の所に行かなきゃ良いけど…あの調子であいつの所になんか行ったらどんな毒舌吐いて自信喪失させるかわかんないからなー)

 葉月の心配では無く先輩の心配をしていた。

(そうだ…皐月さんは大丈夫かな……)

 そしてその頃皐月は軽音部の部長に掴まっていた。

「聖堂院さん、お願い! 器材貸してくれ!」
「でも…皐月わかんない………」
「わからなくても良い。俺等軽音部は自分達で出来 るから」
「でも、勝手に貸しちゃ駄目だって弥生ちゃんに言 われてるから……」
「頼むよ…」

 突然だが、皐月は綺麗な物が好きである。なので、綺麗な顔をしている人は無条件で好きになる。そして今皐月に頭を下げている軽音部の部長はヴィジュアル系の綺麗な顔したお兄さんである。

 ……皐月はめちゃくちゃ揺らいでいた……

「ん…と……じゃぁ後で弥生ちゃんに聞いてみる」
「聞く事は無い。君が今ここに貸すと一筆書いてく れれば良い事なんだ」
「でもぉ……」
「答えるな皐月ぃ!」
「弥生ちゃん!」
「ちぃっ! 見つかったか!」

 遠くの方から弥生が叫びつつもうダッシュで2人の方に走り込んで来た。

「どうも、始めまして。軽音部とは名ばかりのヴィ ジュアル系バンド部の部長先輩」
「自己紹介がまだだからってそんな説明的な名前で 呼ぶこたぁないだろ」
「ウチの部員に何か様ですか? バンド部とは名ば かりの顔だけバンドの部長さん」
「器材を貸して欲しくって…って、おい。お前今ど さくさに紛れて何か失礼な事言わなかったか?」
「いいえ何にも? 聞き違いじゃ?」
「とにかく器材を貸してくれ! 器材がないんじゃ ウチは何にも出来ないんだ!」
「一つの部だけに貸す訳にもいかないんでお断りし ます。やる事ないんだったらあのど派手なメイク してビラビラの衣装着て校内練り歩いたらどうで す? ヴィジュアル系バンドなんだか仮面舞踏会 なんだかわかんなくなってるバンド部さん」
「仮装大会みたいだとー!」
「いや、言ってないってそんな事」
「何日も徹夜を続けて作り上げたあの衣装を馬鹿に したなー!」
「してないってば!」
「いたぞ! 五十嵐だ!」
「ヤバイ、一つの所に長いし過ぎた!」

 声に反応して振り返ってみると後方から数人の各部部長達が弥生目掛けて突進して来るのが見えた。

「もー! また追いかけっこだよー!」

 走り出した途端に弥生は皐月を振り返り念を押す。

「今度勝手に貸そうとしたりなんかしたら縁切るからな!」
「いあやぁーだぁー!」
「だったら何も喋るなよ! いいねぇー!」
「こうなったら俺達も五十嵐を追うぞ!」
「しまった! 自分の首閉めたぁ!」
「がんばってねぇ弥生ちゃぁーん!」
「ちくしょぉーーー!」

 長い廊下に弥生の叫び声が残響している。段々増え始める各部長達の手から逃れる事は出来るのか?
 校舎の造りを熟知しているかいないかがこの勝負の分かれ目となる。

「五十嵐ぃ! 中学時代の恩を忘れたか!」
「忘れて無いけど忘れたいです!」
「ほぉ〜。よく言った! 歯ぁ食いしばれ!」
「暴力反対ぃぃぃ!」

 そして弥生を追いかけていないその他の部長さん達は放送部部長の葉月を突撃していた。

「頼む! この通りだ!」
「…と、拝まれましてもねぇ」

 葉月の在席する1年2組の教室には『葉月凌一郎説得順番待ちはこちら』と書かれた看板が掛けられていた。クラスメート達の協力による物だ。現在は野球部部長が葉月と1対1の交渉中だ。

「どーしても、君達の力が必要なんだ!」
「そうみたいですね」
「俺達は生憎運が無くてグラウンドに当たってしまったんだ」
「それは大変ですね」
「そうなんだ。客を呼ぶのも目を引くのにも苦労するんだ! そこでマイクが欲しい!」
「巨大看板でも作ったらどうですか?」
「そんな時間は無い!」
「大道具作ろう同好会に発注したらどうです?」
「そんな予算は無い!」
「それじゃぁ自分達で作るしかないですね」
「そんな時間は無いと言っているだろうが!」
「じゃあ八方塞がりで大変ですねぇ」
「君等が器材を貸してくれれば済む話しなんだよ」
「嫌です」
「しかし……」
「嫌です」
「こうして頼んでいるんだ……」
「嫌です」
「話しくらい……」
「嫌です」
「…葉月…」
「嫌です」
「……」
「嫌です」

 しばし無言の後、唐突に葉月の胸倉を掴んだその時、葉月の表情が今までの営業スマイルから氷の様な表情に変わった。

「口で適わないと分かったら直ぐ暴力? これだか ら単細胞な奴は困る。大体人間は多細胞種族なのにも関わらず単細胞ってのがもうヤバイんじゃな いのか? 口じゃ適わないって事が分かるくらいの頭が一応あるなら自分の利益だけを考えてないで他人を思いやる方にも使かったらどうだ? 色々な事に使かわなきゃ脳細胞だってどんどん死んでいくばっかだぜ? これ以上死ぬ細胞が無い程の馬鹿なら仕方ないけどそうじゃ無いならたかが4人でこんだけある部活全部に手が行かないのは分かるだろ? かと言って特定の部活のだけ手を貸せば他から文句が上がって来る。そんな状況で俺達を攻めるのはおかど違いだと思わないか?」

 教室中が凍りついた。葉月の冷徹マシンガントークを初めて聞いたからだ。

「す、すんません…でした…」
「分かったなら、手。放してくれません?」

 にっこりと微笑むその笑みが氷の様に冷たかったのは言うまでも無い。この一件から部長達のマークは弥生1人に集中する事になってしまうのだった。

「なぁんであんた達無事なのよぉ〜」
「俺等じゃわからんから部長と副部長に聞いてくれ って逃げてるから」
「汚い………」
「大体新入生入部歓迎会でなんでこんなに殺気立っ てる訳ぇ?」
「なんかねぇ、人気が1番だった部活にはぁ特別予 算がでるんだってぇ」
「………………………………………納得」

 地元出身のお陰か、色々な知り合いがいるせいで弥生は葉月の様に断り切る事は出来ない。だから校内中を逃げ回っているのだが、さすがに疲れたらしい。そしていつもの様に放送室のドアが激しいノックの嵐に見回れる。

「もぉ〜いやぁ〜……」

 机に突っ伏した弥生の様子を見てさすがに可愛そうになって来た葉月が外の輩を追い払おうと椅子を立った時、ドカッ! っと言うドアが割れんばかりの音がした。誰かが蹴りを入れたらしい。

「何時までも無視してんじゃねぇーよ! 器材貸すぐらいしたっていいだろーが!」

 部室の外から罵声が聞こえて来た。その声を筆頭に次々と声が増えて行く。切羽詰まっている時の人間程怖いものはない。

「ヤバイぞ、完全に頭に血が上って来てる…どうす る? 凌一郎」
「ったく、参ったな。ドア破りかねない勢いだぜ。 例え出てっても話しになんかならないぞ」

 困り果てた部員達の耳にその場にはとても不似合いな一際穏やかな声が飛び込んで来た。

「皆楽しそうだねぇ…」
「神月!」
「は…? 綾人先輩?」

 聞き慣れた名前に葉月が反応した。神月は葉月の中学時代の良き先輩である。

「だんだん、放送部に対する意見がまとまってきた から会議でも…と思って来たんだけど、皆は話し 合いより殴り合いの方がお好みのようだねぇ?」
「い、いや…そう言う訳じゃ………」

 神月の穏やかな口調と穏やかな笑顔がこの場ではただ恐ろしい物に感じる。
一瞬にして高ぶっていた感情が冷めて行く。

「じゃ、話し合いでもしましょうか。丁度議題に相応しい面子がそろってる事だし?」
「…なんの会議なんだよ?」
「最近の先輩方の放送部に対する行動が目に余る、との意見が1年生から多々上がって来ててね。あんな怖い人達のいる部活に入りたく無いそうだけど…どうする?」
「それは、困る!」
「でも、もう怖がっちゃってますしねぇ」

 ニコニコと笑みを絶やさない神月は一歩一歩放送室のドアに近付き、先程ドアを蹴り飛した柔道部部長の元に近付いた。

「あなたの様な人もいる事ですし…ね?」

 そう言って一枚の紙を柔道部部長に押しつけた。

「? なんだよこれ」
「修理代って書いてあるでしょ? もしかして読めない?」
「俺は蹴っただけだろ!」
「蝶番いね、壊れてるんだわ。気付かなかった?」

 神月の指差す方向には確かにネジが外れ掛かってる蝶番いが付いた放送室のドアがあった。(しかし、実はこのドアは去年からこの調子だったりする)

「俺のせいじゃねぇーだろ!」

 柔道部部長は怒鳴った途端伸びて来た神月の手で顔面を掴まれ、頭を壁に押しつけられた。ゴッ! と言う鈍い音がする。

「壊したよなぁ? お前が」

 押しつけた頭の耳元で低く囁いた神月の表情からは今尚笑顔が消えていなかった。

「こ、壊しました……」
「払うよな?」
「払います……」

 頭は押さえたまま、綾人は開いている方の手で懐を探り、一枚の書類を取り出す。

「ここに一筆書いて貰おうか?」
「・・・はい……」

 言われるがままに書類にサインをした所でやっと顔面から手を放した神月はゆっくりと後ろにいる他の部長達に向かって向き直った。
 穏やかな表情で語り掛ける。

「まぁでも、話し合いも面倒ですから、お望み道理に殴り合いで裁決取る事にしましょうか?」

 そこに居合わせた全ての人から血の気が引いた。
 噂には聞いていたが目の当たりにするのは初めてだった。神月綾人。穏やかな微笑みを浮かべながら相手を完負なきまでに叩き潰す悪魔の異名を取る男。
 大慌てで蜘蛛の子が散る様に去って行く各部部長達の足音が遠ざかってから、ようやく放送室のドアが開かれた。

「やぁ、凌。久し振り」
「助かりました綾人先輩」
「いえいえ、お勤めですから」

 ニッコリ微笑む神月の笑顔が今度こそ本当の笑みになっていた。

「お茶どうぞ」

 特別なお客様の来た時にしか入れない紅茶を神月に振る舞って一息ついた放送部の面々だったが、この神月の出現によって実はまた新たな局面にでくわす事になった。

「はぁ? 放送部の発表場所が無い?」
「うん。そうなんだ。文化部長の三石の所にね、昨 日文化部連盟で届けがあって、各部現在使用して いる部室で良いから他の部活が使いたいって言っ ても貸さないで下さいって。まぁ、美術部なんか は画材とか置いてあるから他の人達に入って欲し くないんだろうね」
「それでなんで放送部の場所が無いんです?」
「放送部の部室はここでしょ?」
「ええ、でもここじゃ……」
「うん。ここじゃ演芸発表には不適切でしょ」
「……確かに」
「しかも、高い器材の管理してある放送室は一般生 徒立ち入り禁止。お客が呼べなきゃ意味が無い。 そんな訳で場所がないんだ」
「そんなぁ〜…」
「じゃ、うちは場所無しでやれって事ですか?」
「けどそれもちょっとな、と思って話しに来たの」
「って…話に来てくれただけでなんの解決策も持って無いんですよね、綾先輩」
「何を言うかな。この僕が、話しに来ただけでも有り難いと思いなさい?葉月凌一郎君」
「身に染みて分かってます…」

 悪魔の異名を取るからには神月もかなり無茶な事をやって来ていた。弱い部活の予算を削って潰しに掛かったり、正当な理由があって(例えば大会何かで)会議を欠席したりした場合でもその団体にはギリギリまで情報を流さないようにしたり、他にもありとあらゆる悪どくて非情なマネをしでかして来ているその様を葉月は間近で見て来ているからこそ今回こうして話しを持って来てくれた事がどんなに珍しい事かを噛み締めていた。

「有り難くても何の解決にもならないですよぉ〜」
「どうする凌一郎?」
「どーすっかな…」
「でもぉ〜」

 今までじぃっと話しを聞いていた皐月がのんびりと口を挟んだ。

「逆に言えば場所にとらわれずに自由にやって良いってことですよねぇ?」

 ポンっと弥生の手が鳴った。

「良いんですか神月先輩?」
「放送部がそれで良いなら、会長には僕から伝 えておくよ」
「ありがとうございます!」
「それじゃ決まりで良いね? 報告して来るよ?」
「はい。お願いします」

 そうして神月が去った後、不安そうにしている男2人を尻目に女2人は不敵な笑いを零していた。

「お前等・・・・・・何やるつもりだ?」
「実写兼ラジオドラマよ!」
「は?」
「皐月、メールで各文化部に共同戦線呼び掛けて」
「うん!」
「おい! 勝手に進めるな! 説明しろ説明!」
「だから、実際校舎内走り回りながら芝居して、実況を校内放送でやるのよ」
「…それで実写兼ラジオドラマか」
「なんか、とんでもない事するな…」
「そう? これ中学の時もやったのよ。ほら、この間見せた私の写真あったでしょ? あれその時のやつなんだ。皐月、返事は?」
「美術部とぉ、遊・パソコン部とぉ、マン研とぉ、裁縫部からお返事きたよぉ。やっても良いって」
「よし! じゃぁ…あれ? 何追加メール?」

 弥生の気付いた追加メールには『これから話しに行くから待ってなさい!』と書かれていた。マン研からである。
 突然放送室のドアがノックされた。

「メール読んだ? マン研でっす!」
「早…」

 追加メールが届いてからものの2分で放送室に到着したマン研部長の森崎美晴(3年)も葉月の中学時代の先輩である。

「わざわざこんな遠い所に進学せんでも近くに色々学校あったでしょうに。そんなに私に会いたかったのかぁ葉月ぃ?」
「痛いよ、先輩……」
「あら、お知り合い?」
「中学の時にちょっとな……」
「そうそう、深い仲なんだよねー」

 葉月を抱え込んで放さない森崎の顔は終始にこやかだが、葉月の顔には縦線が降りている。どうやら苦手な先輩だったらしい。

「んでさぁ、やるのは良いけど、どんなんやる訳? 話しとか仕掛けとか、衣装とか」
「裁縫部が協力してくれるんで衣装の方は何とかなると思うんですけどねー、問題は何をするか、なんですよねー」
「ふむ、そこはウチ等マン研の守備範囲ね。チラシなんかはパソ部にやらせるでしょー、んで放送部自体は4人だけ、かぁ……」

 急に弥生と盛り上がる森崎を前に後輩である葉月と和之はどんな事になってしまうのかヒヤヒヤしながらみているしか出来なかった。

「・……中学の二の舞いだ……・・」
「がんばれよ、どうせターゲットはお前だ…」

 葉月達の中学には、大掛かりな文化祭が無かった代わりに規制の緩い文化活動発表会があった。その中でかなり異彩を放っていたのが演劇部と森崎率いる文芸部だった。中学では文化祭時の校内放送が禁止されていた為、放送部は何もする事が出来ず、部費を稼ぐ為に他の部活の臨時手伝いをしていたのだが、その時から葉月の不運は始まってしまった。

『ギャラは他の部の倍出そう。コスプレをして客引きをしてくれ!』と言う文芸部の話に乗った葉月は、半分以上『部誌』では無く『同人誌』と呼んでしまって支障の無い様な物を作っていた文芸部の趣味で一日ごとに違うキャラクターの格好をさせられて3日間、それを3年。自前の営業スマイルも手伝って、葉月のファンはうなぎ登りに増えたと言う……

「二度とやらねぇぞ俺は………」
「よし! じゃぁそれで行こう! 弥生ちゃーん。君とは仲良くやって行けそうだよ」
「私もですわ森崎先輩。まさかこんなに話の合う人がいるだなんて……」

 ふふふふ〜 っと不気味な笑みを漏らす2人が、どんな話しを付けたのか知りたくない葉月であった。

   


馬高校
放送部喜談