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王宮の一室では姉姫と妹姫が何を話すわけでもなく、けれど離れる事もなく、ただ寄り添って座っていた。静かで、神聖で、愛おしい時間。
それを先に壊したのは妹姫ユーティシアだった。
「お姉さま、婚礼には私が行きます」
「?!何を言い出すのユーティシア!」
「お姉さまは、夜明けを取り戻したこの世界をまとめて下さらないと」
「ダメよ!勇者の血は私の方が濃い。それに皇女として貴女はまだまだよ。ギベルタにもっと色々な事を教わらなくては」
手を包み込んで優しく諭す姉姫ジュビリアの言葉も、ユーティシアの心を揺らがせる事には至らなかった。彼女は固い決意を胸にこの日を迎えたのだ。
「芸術家の方の元へ、向かうのでしょう?お姉さま」
「ユーティシア……貴女、知っていたの……!?」
「はい」
驚きと恥じらいと悲しさと、色々な感情が入り混じって言葉を失った姉の肩をそっと抱き寄せてユーティシアは呟く。だから私が魔王へ嫁ぎますと。
「それは、魔王があの人だからこそのご決断ですか?ユーティシア様!」
控えめに、だか力強い言葉と共に部屋の扉が開かれ、チュニーとギベルタが2人の元に傅いた。
ギベルタの手には暗号文が、チュニーの手には解読された文章の紙が持たれていた。
その内容は冒険者の口からユーティシアへと伝わっている筈だが、それを受けてなお…いや、受けたからこその判断であるならばギベルタもチュニーも無礼を覚悟で止めなければならない。
「チュニー、ギベルタ……そうです、と言ったら二人とも私を叱るのでしょうね」
「当然です! 目を覚ましてください!」
「ごめんなさい。それでも私はもう決めたのです」
「ユーティシア様!」
「魔王の……ゼル=フェールの元へ嫁ぐと!」
ここに居る皆に宣言するかのように真っ直ぐな瞳で言い放つユーティシアの見る先、チューニートギベルタの背後には、軍師ゼルの姿をし、その魂を深淵へと追いやリ乗っ取った魔王が悠然と立ちはだかっていた。
「魔王…グラバノス……!」
「姫、お迎えに上がりましたよ」
すっと片手を胸に最礼式のお辞儀をして微笑む、それはゼルの物であってゼルの物ではない。まるで比べ物になりようもない邪悪な微笑み。
けれどユーティシアには愛しい人のそれにしか見えていない。
真っ直ぐにユーティシアの元へ歩み寄る魔王に、他の3人は圧倒されて動けない。そしてその手がユーティシアの頬に触れようとした時だ。
「そこまでだグラバノス!」
魔術、ではない。なにか違う聖なる力が言葉と共に放たれ、一瞬グラバノスの動きを止める。しかしそれは片手を払う事ですぐ打ち払われ、魔王は攻撃を仕掛けてきたその人物を視界に収める。
「貴様……記憶を取り戻したか」
「あぁ、皆のお蔭でな」
ジリっと互いの距離を読み合いつつ近付くその人物は、街の道具屋ディラルヴァ。しかし、その手に持った王家の印が入った布きれで皆が把握した。
彼が、25年前に攫われてしまった皇子ジルセールだと。
「お兄様……?」
「皇子!ご無事だったのですね……!」
「皆、私の元へ」
ジルセールの言葉でやっと呪縛から解かれたように皆が彼の元へと走り寄る。
ただ一人、ユーティシアを除いて。
「ユーティシア!」
「お会いできて嬉しいですジルセールお兄様。けれど私は……」
「良く考えるんだユーティシア。それは、本当に君の愛しいゼル軍師なのか?」
「だけど……私は真実の愛を見つけたの!」
「そんなのは真実の愛じゃないわ、ユーティシア!」
必死の説得にもユーティシアは耳を塞ぎ聞き入れる様子は無い。
そのユーティシアを胸に抱き、グラバノスは笑う。
人が崇める神が魔族に有利な神託をくだし、人々の絶望は広がり、魔族は復活の兆しを見出した。
夜明けとは、魔族にとっての夜明けであり、人にとっての滅亡という事であったのかもしれないとさえ噂されるほどだ。けれど、人は希望を捨てず皇子は記憶を取り戻した。
「夜明けの鍵は手にしてないが、貴様を倒せば済むことだ!グラバノス!」
言葉と共に放たれた聖なる力は魔王にだけ衝撃を与えた。それは先祖から引き継いだ勇者の力であり、王家を護るもの。ユーティシアには衝撃は伝わらない、がそれを片手で弾いたグラバノスに突き飛ばされ、側にあった椅子へとへたり込む。
グラバノスからユーティシアが離れたのを機に、勇者の力を具現化させた剣で斬りかかるジルセール、それをグラバノスはいともあっさりと受け止めて弾き飛ばす。
「ジルセール皇子!」
「おのれ!」
怒りを露わにバトルアックスを振り上げ躍りかかるギベルタも、片手で制され幾度も斧を振り下ろしてもそれがグラバノスを傷付けることは無い。まるで子供でも相手にしているかのように余裕のグラバノスに魔法の光が降り注ぐ。
「ウェンド!!」
チュニーの放った魔法はグラバノスを捉えた、かのように見えた。
「こんな物か」
「っ! 弾いた!?」
魔力の煌めきは軽く振っただけの腕に掻き消され四散した。
驚愕しながらもチュニーは次の魔法詠唱へと移行する。ギベルタの斧、チュニーの魔法が次々と連携で繰り出される中、注意がそれたその一瞬を狙ってジルセールの刃がグラバノスに迫る。
「させないわ!」
「!? アリ、ス……っ…!」
「甘さを後悔しなさいと、言ったでしょ?」
空間が割れ、時空のひずみから出現したアリス=ミスカによってその刃は弾かれ、そしてジルセールの胸に彼女の爪が深々と食い込んだ。
一撃で肺までを突き破ったのか、咳き込むたびにジルセールの口からは血が流れ出し突き刺されたままの胸から真新しい血がどくどくと流れ出してゆく。
「遅れての参上、申し訳ありませんグラバノス様」
「アリス=ミスカか」
ジルセールの体から、アリスの爪が突きだす。
とうとう貫通してしまったその胸から流れ出す血が、床に這い赤い水溜りを作り始めた。
それでもなお、ジルセールは弱々しく腕を上げアリスへとその手を差し伸べるて、喘鳴と血塊を吐き出しながら、声にならない声で最期の言葉を紡ぐ。
「…アリ、ス……それでも…僕は………君、が………」
「安心しなさい、貴方の血は私が残らず吸い取ってあげる。勇者の血…思ったよりも甘美で素晴らしい!魔力が漲るようだわ!」
最後まで言葉を紡げないまま事切れたジルセール。その体を愛おしそうに抱きしめてアリスは笑う。その身に流れる勇者の血が街の戦闘で負った傷も直し、アリスの力を取り戻させた。
「愛しい女の糧になれたんだ。本望だろう」
そう嘲るグラバノスに応じて、アリスはジルセールから身を離しその体を投げ捨てた。
床を転がるジルセールの元に泣きながらジュビリアが駆け寄り、チュニーとギベルタは更なる怒りをもってグラバノスへと向き直った。
「うわぁぁぁー!!」
「無駄だ」
すっと、本当に軽く手を動かした。それだけなのに、ギベルタの身から血が噴き出した。
いつの間に出現させたのか、魔力を紡いで作り出されたレイピアが、ギベルタの体を切り裂いたのだ。
「ギベルタ!!…許さない! 風に刻まれろ、ミルウェンド!!」
怒りに任せた上級魔法。荒れ狂う風の魔法が沸き起こり竜巻のようにグラバノスを襲う。が、チュニーの持つ魔力の全てを解放させてぶつけたそれも、優雅にあげた掌一つで受け止められてしまった。
そして徐々に圧し負かされて魔力が四散してしまったその後で、チュニーに刃から逃れる力など無かった。
「チュニー、ギベルタ!!」
ジュビリアの悲痛な叫びが響き、その身を煩いとばかりにレイピアが撫であげ鮮血を散らす。
ジュビリアまでが倒れ伏し、命の危機にさらされているというのに呆然と椅子に座ったまま一連の惨状を見つめていたユーティシアには何も聞こえておらず、何も見えていない。
只々、舞うように戦うグラバノス…いや、彼女の目から見たらゼルの姿を追うだけだ。
切り裂かれ床に伏してもまだ、戦う意思をみせるギベルタとチュニーだが、立つ事すら適わずこのまま留めを刺されるかまたもや守りきれず目の前で姫を攫われてしまうのか、どちらかを待つしかできない状態だった。
「……まだ邪魔者が来るか」
ふぅと溜息をついて、グラバノスはまた扉の向こうを見やる。
ふらふらとした足取りで向かって来るナズウィックとそれを支えてやるアイメル。
幸せの花を持って走るリーファスと、それを誘導するように進むビース。
戦闘の音を聞いて集まって来た魔法使いや戦士、盗賊といった冒険者達。
何人来ようが敵わぬというのに、そう思い悠然と笑みながらグラバノスは人々を眺める。
気が付いてはいたが良く見れば見るほど冒険者たちの衣裳はこの世界の物ではない様にも見えた。
(異世界から来た者か……奴らのせいで多少目論見が外れたが、それだけだ)
人間ごときに何ができる、そうグラバノスは思っていた。
しかし、この惨状が一番不似合いではないかと思われる庭師のリーファスが、グラバノスの姿など見えていないかのようにしっかりした足取りで、声で、歩み進めユーティシアへと語りかける。
「ユーティシア、ほら見て!幸せの花が咲いたんだ。君の為に、君の幸せを願って剪定したんだ」
「幸せの、花……?」
「そうだよ。おいら、難しい事は良くわからないけど、ユーティシアが笑っていられるようにって願ってた。君は真実の愛を見つけたと言っているけれど、それじゃあなんで泣きそうな顔をしているんだい?」
「私は……」
「どうして君の幸せを願っていた人たちが血を流しているの?どうしてそんなに辛そうなの?君は、本当に幸せなの?」
「私は……!!」
リーファスの真っ直ぐな言葉にだんだんとユーティシアの心が揺らぎ始める。
その揺らぎに今まで何にも動じなかったグラバノスが僅かに反応したが、その動きにも気づかずどうにかユーティシアの気持ちを動かそうと、リーファスの訴えは続く。
「それにねユーティシア、この婚礼はゼル様が可哀想だ」
「…ゼルが、可哀想……?」
「君は魔王に嫁ぐんだ、ゼル様と結ばれるんじゃない!魂を乗っ取られたままのゼル様が可哀想だよ!」
ユーティシアの幸せを願っていた。想っていた。
そんなリーファスだからこそ出た言葉だろう。
いわばゼルは恋敵。それでも彼女が幸せならそれでいいと。皆に優しいゼルにならユーティシアの幸せを託せると思っていただけに、魔王に乗っ取られた状態のゼルに嫁ぐなんて認めたくなかった。
まるで、丁度想い人が魔王だったからと、神託を利用して強引に結ばれようとしているような、そんなふうにも取れてしまう。そんな婚礼賛同なんかしたくないのだ。
「姿に捉えられて真実を見ないなんて、君らしくないよユーティシア!」
「そろそろ黙って貰おうか?招かれざる客人よ!」
バッ! っとグラバノスの腕が振り上げられると、辺り一面に雷のような衝撃波が走り冒険者達をはじめリーファスやビース、ナズウィル、アイメルまでが膝を折り痛みに手を付いた。
ユーティシアの心が揺らぎ始めたのを感じ取り、茶番にも飽き始めたグラバノスがユーティシアを連れてその場を去ろうとした時だった。
「夜明けの、鍵……」
「なに…?」
「夜明けの鍵があれば……夜明けの鍵を!誰か!!」
床に膝を付きながら、叫んだのはナズウィルだった。
今までの酒飲みだったナズウィルとは違い、目に生気が宿り発する言葉もはっきりとしていた。
「あんた、目醒めたのね……?」
「ああ。今までありがとうアイメル。そして、彼女が託した夜明けの鍵を持っている冒険者よ!この場にいるなら力を貸してくれ!」
「ここに! 夜明けの鍵です!!」
ナズウィルの声に応じて痛む体を引きずりやっとの事で冒険者の一人がナズウィルに夜明けの鍵を手渡した。
夜明けの鍵とはつまり魔王に対抗する手段の一つ。
皆の持つ魔力を増大させる魔法具の事。
「正気を取り戻したか…やはりあの時殺しておくんだったな」
「残念だったな。今はもう神託の本当の意味もはっきり言えるぞ! だが先に皆の回復を……デルキュオラ!!」
ナズウィルの発した呪文と共にその場にいた皆の体が聖なる光に包まれ、驚くべき事に事切れていたジルセールまでもが息を吹き返したのだ。
これがナズウィルの本当の力。そして、夜明けの鍵の力だ。
「なんですって!?」
「まったく、厄介だな」
何が起こったのか咄嗟には判断が付かなかったのか、ジルセールは咳き込みながら起き上り近くに居たジュビリアの手を借りて起き上る。
そして夜明けの鍵を手に持つナズウィルの姿と、混乱して泣き腫らすユーティシアの姿をみて大体の事情を把握した。
そして、己の血で手を赤く染めて勇者の血の力で魔力を取り戻したアリスに視線を投げて、複雑な想いを胸に宿らせる。
彼女はいざとなれば自分を殺すことが出来る。それを身を持って確認した。
けれどジルセール……ディラルヴァは彼女を攻撃することはできない。それも、身を持って実感したところだった。
(けれど、戦いになれば…そんな事は……)
言っていられない。それは解っているので揺らぎや悩みを捨てジルセールとして魔族に対峙する。
「ユーティシア姫、ゼル様の為にも彼の体から魔王の魂を追い出すのです!」
「ゼルの為…こんな私にも、その力はあるのでしょうか?!」
「大丈夫よユーティシア、共に祈りましょう」
やっと目が覚めたユーティシアが泣きながら叫べば、ジュビリアが力強く答える。
そのユーティシアを連れ去ろうと忌々しげに魔王が手を伸ばすが、なにか反発する力に阻まれてその腕を掴むことができない。
ついさっきまで闇に飲まれそうな胡乱気な表情をしていたユーティシアだったが、今はすっかりいつもの、いや何時もより王族然とした面持ちでグラバノスを見据えた。
「闇の者よ去れ!その者の魂を解放させよ!」
「闇の者よ、去れ!!」
ナズウィルの詠唱に続いて王族の三名、城仕えの者、城下町の者、そして集まった冒険者達。その場にいた皆の想いが力となって夜明けの鍵に集まり増幅され拡散する。
強烈な光を放って輝くそれは、不思議と眩しくはなく、けれどアリスとグラバノスの目を眩ませる効果はあるようだった。
動けなくなった二人を包む光はグラバノスの本来の姿、魂の形をゼルの影に映し出し、そして強くなり続ける光はその影を包み込んで消し去った。
「……っ」
「ゼル!」
膝を付いて苦悶の表情を浮かべるゼルにユーティシアが走り寄る。
一瞬、それを止めようとしたジルセールであったがユーティシアに向かって顔を挙げたゼルの表情をみて挙げかけた手を収めた。
「…いつも感じていた邪悪な気配が、消えている……」
「ゼル…良かった……」
手を取って安堵の涙を流すユーティシアに、周囲の人々、途切れ途切れに残る記憶。それらを繋ぎ合わせてゼルは事の顛末をなんとなく把握した。
自分は魔王に乗っ取られるか何かしていたのだろう。それを、この可愛らしい姫が、皆が撃退してくれたのだろうと。
「なんて事……魔王、グラバノス様!本当に…もう……いらっしゃらないのですか!?」
聖なる光で魂だけの魔王は消し去れたが、本体の中に魔力まで取り戻していたアリスは立つのがやっとの状態ではあったがこの場に留まり一命を取り留めた。
そしてゼルの中から1000年の時を孤独に待ち続けた待望の魔王の影が消えてしまった事を確認し絶望する。
「ぃや…もう、孤独に待ち続けるのは嫌!!」
「アリス!!」
取り戻した魔力で時空の扉をこじ開け、狭間へと走り去るアリス=ミスカ。それを追ってジルセール、いやディラルヴァが手を伸ばすがそれはナズウィルに止められた。
「なぜ…!?」
「彼女は、魔族なのですよ。ジルセール王子……」
ナズウィルの説得するような言葉に、ディラルヴァは再びジルセールとしての意識をもってアリスを追いたい気持ちを抑え込んだ。
彼の言う『魔族なのだ』と言うのは忌み嫌われている一族だからという事ではなく、生きる年月が違うのだという事。
きっと今追いかけて手をとっても、必ず手を離してしまう時が来るから。
それが解るから、ジルセールも追うのをやめた。
「ゼル、改めて言わせてください。神託は関係ない。貴方をお慕い申しておりました」
「ユーティシア姫……はい。喜んで、お気持ち受け取らせて頂きます」
親愛か恋情か、悩んでいた気持ちに答えが出たのか軍師と妹姫は取り合った手をしっかりと握り合った。その横でひっそりと、だが力強く様子を見に駆けつけていた芸術家と姉姫も互いの手を取り合っている。
ジルセールは思う。アリスを追いかける事はできなくても、これから他の姫や女性を愛することは無いだろうと。
けれど、妹達がきっと王家の血を残し、この国は1000年続く悠久の王国へと生まれ変われるだろうと。
「夜が明けた……」
「さぁ、今日はお祝いよ!お店のお酒、奮発しちゃうんだから!!」
こうして、フォルローグの人々は全ての謎を解き明かし、夜の闇を打ち払い、再び訪れた陽の光に乾杯するのであった。
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